JAMSTECの歴史HISTORY

発足を記念して看板をあげる石倉秀次理事長。左から堀武男監事、染谷経治理事、岡村健二理事、石倉理事長、木下一郎理事。

1971

海洋科学技術センター発足

1960年(昭和35年)頃より、英米仏など先進国では海洋開発が国策として推し進められていた。海洋国家を自認する日本においても、田川誠一・科学技術庁政務次官をはじめとする議員らによって、科学技術施策の二大柱である「原子力の平和利用」「宇宙開発」に「海洋開発」が加えられた。

こうした機運の中、1967年(昭和42年)には産学官が共同する財団法人・海中開発技術協会が設立された。また経団連海洋開発懇談会や日本海洋開発推進会議など民間からも、海洋科学技術研究開発のための中核的機関設置が、政府に要望された。

1971年(昭和46年)10月1日、海洋科学技術センターが発足した。設立時の定員は役員10名と職員30名。当初は、横須賀市米が浜通2丁目2番地にある馬淵建設の一角を間借りしたものであった。

1973年(昭和48年)12月4日開催のセンター開所式。
各界より600名を招いた。

1972

夏島に横須賀本部を設置

センター設置用地の選定にあたり、海洋に面し、海中作業基地や母船などの係留地となり、また海中潜水訓練も行える機能を持たねばならない観点から検討が進められた。当初、千葉県房総海岸や伊豆半島、油壺などが候補地となったが、いずれも東京からの距離や地盤軟弱など、用地としての適性に難点があった。

1969年(昭和45年)3月、海軍航空隊跡地が米軍から接収解除となり、日本に返還されることとなり、同地をセンター用地とする計画が提案された。当初は公害の懸念や税収に繋がらないと横須賀市側が難色を示したものの、市長や市議会から海洋科学技術の重要性への理解を得て、40159.57㎡の用地を国から現物出資として海洋科学技術センターに提供されることとなった。センター設立から半年が経過した1972年(昭和47年)4月であった。

海中に投入されるハビタット
  • 海底に設置されたハビタット
  • 60m実験のアクアノート。左より伊藤・安村・奥川

1973

シートピア計画

1965年(昭和40年)より科学技術庁は潜水技術に関する総合研究をはじめ、1968年(昭和43年)には海中居住実験基地に関する研究を開始していた。計画の愛称公募に寄せられた9500余通の中で最も応募数が多かったのが、海(sea)と理想郷(utopia)を複合した『シートピア』であった。

1971年(昭和46年)、海洋科学技術センターは設立とともに、科学技術庁が海中開発技術協会に委託していたシートピア計画を継承することとなった。アクアノート(海中居住者)の生理、心理、作業能力や飽和潜水技術、あるいは関連機器の開発を目的とした計画であった。

1972年(昭和47年)に水深30mで、翌73年には60mでの海中実験を静岡県賀茂郡西伊豆町の田子港外において実施した。アクアノート4名は、9月24日から50時間22分にわたる海中居住の後、減圧期間をおいて、9月30日に無事帰還した。

1972年頃の夏島周辺空撮

1976

横須賀本部の発展

海洋科学技術センター用地として現物出資を受けた地域は、東側の主要部分および南側が海に面していた。1972年(昭和47年)から施設の建設を開始したが、高潮の侵入防止および将来的な埋め立て計画を考慮し、建物床面が現地盤より120cm高くなるよう設計された。

1973年6月13日、横須賀市米ヶ浜通および東京都港区新橋に分散していた事務および研究スタッフが夏島町に集結し、本格的な研究業務を開始した。敷地内の建屋は、1972年度(昭和47年度)に海洋工学棟、海洋工学実習棟、および受電所・ユーティリティプラントが完成したのを皮切りに、海中環境訓練実験棟、ガスバンク棟、潜水技術棟、海洋工学実験場、潜水訓練プール棟、廃棄物処理棟、共同研究研修棟、高圧実験水槽棟、情報棟、食堂などが1976年度(昭和51年度)までに続々と完成し、海洋科学技術センター(現・横須賀本部)は発展を遂げていく。

皇太子明仁殿下と石倉理事長

1977

皇太子明仁殿下(現・上皇陛下)行啓

海洋科学技術センターが夏島町に本部を移して以降、多くの要人がこの地を訪れている。1974年8月に森山欽司・科学技術庁長官の視察があり、同年11月にはフランス国立海洋開発センター会長の訪問を受けている。

1977年(昭和52年)6月18日、皇太子明仁殿下(現・上皇陛下)の行啓を賜った。石倉理事長よりセンターの概要説明があり、またシートピアハビタットや波力発電の模型実験をご紹介した。

 

1978

波力発電実験装置
「海明」発電開始

1976年度(昭和51年)から、特別研究「海洋空間エネルギー総合利用の技術開発」が開始した。本研究は、沿岸海域において、波力エネルギーの利用および消波技術に関する技術確立を目的とする五カ年計画である。

1978年8月、波力発電実験装置「海明」を山形県鶴岡市由良港の沖合3.5kmの海域に係留し、熊谷太三郎・科学技術庁長官および山下勇・海洋科学技術センター会長により発電開始のスイッチが操作され実験を開始した。翌1979年8月から年度末にかけて行った第2次海上実験は、国際エネルギー機関(IEA)事業の一環として実施される米・英・加・愛蘭との共同研究であり、波力発電による電力を陸上に送電することに世界で初めて成功した。

300m潜水シミュレーションに成功したダイバー。
左から、福井・村関・大掛・村瀬

1979

潜水作業技術
300m潜水シミュレーション実験

この頃のセンターでは、広範多岐にわたる海洋開発の中でも、民間企業にあまり期待できないもの、国家的見地から早急に開発を要請されている先行的な技術について、研究開発を実施していた。有人潜水作業技術の研究開発は、まさにこれにあたる。

1979年8月、300m潜水シミュレーション実験を行い、世界で初めての300m滞在14日間という記録を達成した。31気圧の高圧ヘリウム混合ガス環境下におけるダイバーを対象に、呼吸機能・循環機能・代謝・睡眠・作業能力・心理・神経生理・適温範囲・室内風速の人体影響など多岐にわたる研究を行った。この実験には、米・仏・西独から合わせて13名の科学者が参加した。

 

1980

潜水調査船支援母船
「なつしま」進水

1973年(昭和48年)の海洋開発審議会の答申を受け、センターでは潜航深度6000mの潜水調査船を開発する中間段階として、潜航深度2,000mの潜水調査船を開発することとなった。1977年度(昭和52年度)にはじまった「深海潜水調査船システムの研究開発」において、支援母船は1979年11月に起工された。

1980年8月、潜水調査船支援母船「なつしま」の進水式が川崎重工神戸工場で行われた。当時、潜水調査船とともに母船を1つのシステムとして建造することは世界でも例がなかった。建造に携わった人達のモチベーションは高く、「これは会社のためではない。日本のためにやるんだ」という情熱に溢れていた。

 

1981

有人潜水調査船
「しんかい2000」完成

1969年(昭和44年)の海洋科学技術審議会の第3号答申は、先行的・共通的技術の1つとして6000m潜水調査船開発の必要性を指摘した。開発にむけた議論を経て、1976年(昭和51年)に6000m級に至る中間段階として、2000m級の開発・運用を目指すことが決まった。

1978年(昭和53年)に起工した2000m潜水調査船は、1981年(昭和56年)4月からの総合海上試運転を経て、10月には最大潜航深度2008mに到達。10月30日にJAMSTECに引き渡された。全国の小中学生を対象とした公募を経た議論の末に、船名が決定した。

「しんかい2000」の誕生である。

建造当時の運航要員は軍用潜水艦と民間潜水船経験者の3名を核として編成された。運航要員の全国公募も実施したが、危険な仕事と考えられたためか応募者は乏しく、全国公募による採用者はなかった。潜水船パイロットが憧れの職業にあげられる現在の状況は、隔世の感に堪えない。

埋め立て中の航空写真

1982

専用岸壁の造成

1982年(昭和57年)には、役職員定員が138名(昭和46年度は40名)、予算総額が60億円(同7億円)となるなど、JAMSTECは順調に成長を遂げていた。この頃、JAMSTECの敷地も大きく成長した。設立にあたって現物出資を受けた40,159平米の土地に加え、第1期埋立工事として、センター前面海域18,391平米の土地が整備されたのだ。

潜水船の運航体制検討において、整備場を併設した専用岸壁を保有することの重要性が指摘されていた。先輩格にあたる海上保安庁の「しんかい」が、建造メーカーの岸壁を借用して整備する体制で苦労したことを受け、二の舞とならぬよう企図されたものである。これにより、世界に先立って潜水船・支援母船・専用岸壁が揃う運航体制が樹立された。

1983

一般公開

JAMSTECは施設の公開を通じて、JAMSTECが推進する研究開発活動を紹介する機会を設けている。2018年の横須賀本部一般公開では、過去最多8950名の訪問をうけ大変な賑わいであった。
写真はその35年前、1983年(昭和58年)の一般公開の様子。
埋め立て間もない岸壁を訪問者が歩き、未整備の盛り土の上で子供達が遊んでいる。

1984

シロウリガイ群集の発見

1984年6月5日、相模湾に浮かぶ初島の南東沖合6km、水深1100mを調査した「しんかい2000」第115潜航で、異様な高密度で生息するシロウリガイ群集(コロニー)を発見した。撮影されたシロウリガイ群集の鮮明な写真は、写真週刊誌『フォーカス』にカラーグラビア見開き全面で掲載された。

この発見に先立つ1968年にプレートテクトニクス理論が完成し、1977年にはガラパゴス島沖の海底で熱水湧出に伴う底生生物群集が発見されていた。初島沖のシロウリガイ群集も、湧出する流体からエネルギーを獲得する化学合成生態系であると考えられ、それは同時に相模湾西部に活動的な断層が存在すると考える説を支持するものであった。現在に至るまで、初島沖の化学合成生態系は多くの研究者に調査され、世界有数の深海研究拠点となっている。

1986

波力発電装置「海明」第2期海域実験

1976年(S51)から10カ年にわたり、海洋エネルギ一利用技術の研究開発が行われた。波力発電を大規模化し、離島用電源等として利用する可能性を実証するものであった。

1985年(S60)、山形県鶴岡市由良沖3kmの海域に展開した波力発電装置「海明」の全システムを調整し、9月より1986年3月まで発電実験を実施した。地元の漁師は「電気など起きやせんよ」と言いながらも、波と戦うJAMSTEC職員に全面的かつ惜しみない協力を続けてくれた。

一連の研究開発成果から発電コストの算出が可能になり、たとえば宮城県沖で発電する場合には47円/kW時と見積もられた。これは当時の自然エネルギー発電では、最も低コストな期待値であった。

1987

海中作業実験船「かいよう」誕生

1985年(昭和60年)、半没水型双胴船というユニークな船体をした「かいよう」が建造された(写真)。船の揺れを抑える独特の船体と広大な甲板を持つ「かいよう」は、海中作業実験船として「ニューシートピア計画」を推進し、後に海洋調査船として北海道南西沖地震の震源域調査などで活躍する。

1987年(昭和62年)には、日仏共同STARMER計画において北フィジー海盆での調査航海を実施。「かいよう」初の外航航海で、赤道を越えた途端にSeabeamがエラーを起こすトラブルを乗り越え、背弧拡大系の詳細な海底地形を取得した。

ディープ・トウに搭載した海底ビデオの映像を食い入るように見つめていた機構職員。チムニー構造が映し出された瞬間、興奮のあまり「チムニーだ!チムニーだ!チムニーだ!」と我を忘れ連呼したと伝えられている。

  • シードラゴン計画
    (陸上の潜水シミュレーション実験)の被験者たち。
  • ニューシートピア計画。
    水中エレベータ(SDC)を出て
    水深300mの海底へ降り立つダイバー。

1988

シードラゴン計画・ニューシートピア計画

JAMSTEC設立時から続く飽和潜水技術の確立を目指した取組は、シードラゴン計画を経て、1982年(S57)より300m潜水技術の研究開発を目指すニューシートピア計画に発展した。

1988年(S63)7月、静岡県初島沖の水深300m地点において、海中作業実験船「かいよう」を基点とした飽和潜水実海域実験を実施した。6名のダイバーは水深300m相当圧下で200時間居住し、合計19時間23分の潜水を行った。ダイバーは海中に出て、くい打ちや距離測定等の作業を行ったが、この間の心拍数は概ね120bpm以下であった。一連の成果は、安全な海中活動を確立するものであり、海とともに生きる人類の可能性を大幅に拡張する金字塔である。

1989

海底熱水調査研究の進展

「しんかい2000」の活躍した時代は、海底熱水調査研究の黎明期にあたる。

1986年(昭和61年)7月4日、第231潜航において、「なつしま84−1西海丘」の海底から湧出する水の”ゆらぎ”を発見した。3年後の1989年(平成元年)6月12日に行われた第411潜航では、日本周辺海域で初めてとなる300度超のブラックスモーカー噴出を伊是名海穴で発見した。これを機に沖縄トラフ熱水研究は大いに盛り上がっていく。

「しんかい2000」第412潜航ではブラックスモーカーから離れた地点で、不思議な現象を目撃している。海底からシャボン玉のような物体がポコポコと浮き上がっていたのだ。東京大学海洋研究所の酒井均教授らは、続く潜航でこの正体が二酸化炭素の液滴であることを突き止めた。二酸化炭素が深海で液体となる現象は、今では地球温暖化対策の1つとして注目を集めている。

1989年海上総合試運転の様子

1990

有人潜水調査船「しんかい6500」システム竣工

昭和43年(1968年)の答申から建造にいたる間にも深海に関する研究は進んだ。日本列島に地震を引き起こすプレートの沈み込みを十分に理解するためには、沈み込みに向けてプレートが曲がり始める水深6300mほどの海底を調査できる能力が必要である。中央海嶺に隣接する仏国あるいは米国が最大潜航深度として6000mを狙ったのに対し、沈み込み帯に位置する日本はこれを上回る最大深度6500mの潜水船を設計し、1989年に完成させた。

1990年4月、潜水調査船「しんかい6500」システムの竣工披露式が晴海埠頭で執り行われた。皇太子徳仁殿下(現・天皇陛下)は耐圧殻内に入られ、船内機器や操縦法についての説明を受けられ、たいそう関心を持たれたご様子であったという。

2005年(平成17年)5月23日、「しんかい6500」は第879潜航において、太平洋プレートが沈み込みをはじめる水深6039m地点で爆発的噴火の痕跡を発見した。従来の学説では想定されなかった火山活動の発見は、プチスポットという概念を創出し、海底下理解の新しい扉を開いた。「6000」では到達しえなかった発見であり、「6500」とした先人の慧眼に感服させられる。

 

1991

「しんかい6500」調査潜航開始
日本海溝(水深6,270m)において
プレートの裂け目発見

1992

「しんかい2000」により小笠原水曜海山において
大チムニー群と熱水噴出孔生物群集発見

「しんかい6500」により小笠原鳥島海山において
鯨骨生物群集発見

1993

「ディープ・トゥ」および「ドルフィン-3K」により
北海道南西沖地震(1993年7月12日発生)緊急調査実施

深海底長期観測ステーション設置(相模湾初島沖)

1994

「しんかい6500」による
中央海嶺潜航調査 -MODE'94- (大西洋)実施

1995

無人探査機「かいこう」により
世界最深部(水深10,911.4m)の潜航に成功

むつ事務所開設

 

1996

「かいこう」による
マリアナ海溝チャレンジャー海淵(水深10,898m)
にいる採泥試料から約180種の微生物を分離

 

1997

深海調査船「かいれい」竣工
海洋地球研究船「みらい」竣工

「ディープ・トウ」によりロシア船籍タンカー
「ナホトカ号」沈没部調査実施

「かいこう」により
学童疎開船「対馬丸」調査実施

1998

「かいこう」により
マリアナ海溝チャレンジャ-海淵(水深10,900m)において
端脚類(ヨコエビ)を採取

沖合浮体式波力装置「マイティーホエール」による
実海域実験を開始

1999

「みらい」により国際集中観測
「Nauru99」に参加

「かいこう」及び「ディープ・トゥ」により
「H-IIロケット8号機」第1段ロケット調査実施

2000

自律型巡航探査機
「うらしま」竣工

2001

ノルウェー国王及び王妃来訪と
天皇皇后両陛下(当時、現:上皇上皇后両陛下)
の横須賀本部行幸啓

横浜研究所開所

GODAC(国際海洋環境情報センター)開所

2002

「地球シミュレータ」完成
演算性能の世界TOP500ランキングで第1位に

2003

「みらい」が南半球周航観測研究
「BEAGLE2003」航海実施

2004

独立行政法人海洋研究開発機構設立

「しんかい6500」により「NIRAI-KANAI」航海実施

2005

地球深部探査船「ちきゅう」竣工

「なつしま」及び「ハイパードルフィン」
「ディープ・トゥ」によりインドネシア・スマトラ沖地震緊急調査

高知コア研究所開設

2006

相模湾において新種鯨骨生物群集を発見

2007

「ちきゅう」によるIODP
「南海トラフ地震発生帯掘削計画」航海実施

2008

深海底下に広がるアーキアワールドを発見

「ABISMO」によりマリアナ海溝において
水深1万m超の海洋~海底面~海底下の連続的試料採取に成功

2009

インド洋でスケーリーフットの大群集を発見

2010

日本近海が生物多様性のホットスポットであること明らかに

「ちきゅう」によるIODP「沖縄熱水海底下生命圏掘削」航海実施

2011

「しんかい6500」による
東北地方太平洋沖地震震源海域調査実施
海底の亀裂等の画像公開

「かいれい」による
「2011年東北地方太平洋沖地震に関する総合調査」実施

2012

「ちきゅう」による
IODP「東北地方太平洋沖地震調査掘削」航海実施
科学掘削世界最深記録(海面下7,740m)を更新
日本海溝のプレート境界断層試料の採取
および長期孔内温度計の設置に成功

2013

東北海洋生態系調査研究船「新青丸」竣工

「しんかい6500」による
世界周航研究航海「QUELLE2013」実施

2015

国立研究開発法人へ移行

「ちきゅう」により
世界最深の海底下微生物群集と
生命圏の限界を発見

2016

海底広域研究船「かいめい」竣工

2017

南海トラフに巨大地震発生帯の海溝軸近傍で
誘発を繰り返す「ゆっくり滑り」を観測

深海バイオ・オープンイノベーションプラットフォーム新設

2019

Team KUROSHIOが
無人探査機による海底地形調査の技術を競う
Shell Ocean Discovery XPRIZE において準優勝

2020

真核生物誕生の鍵を握る微生物「アーキア」の培養に成功

深海バイオリソースの外部提供を開始

2021

JAMSTEC50周年

JAMSTECフェロー真鍋淑郎博士 ノーベル物理学賞受賞

Society5.0科学博開催