更新日:2020/05/11

公募研究

放射性セシウムをトレーサとした北太平洋亜熱帯モード水の子午面2次元循環の定量化

研究代表者 熊本雄一郎* (海洋研究開発機構・主任研究員)
研究協力者 笹野 大輔 (気象庁地球環境・海洋部・技術専門官)、井上 睦夫 (金沢大学・准教授)
[学位:*海洋学,#気象学]

黒潮および黒潮続流南方の再循環域では、冬季に大量の熱が大気に奪われ、深さ数百mに及ぶ海洋混合層が形成される。 再循環域の厚い混合層は北太平洋「亜熱帯モード水(Subtropical mode water: STMW)」として、 水温・塩分・溶存酸素偏差とともに亜表層に沈みこむが、その一部は低緯度の海面に再出現し、大気にフィードバックを 与えると考えられている。そのようなSTMWの子午面循環を把握することは、気候の長期変動、温暖化予測のために 不可欠であると考えられる。しかしながら、現在のアルゴフロート観測網をもってしても、広大な黒潮再循環域の 斉一的な観測データを得ることは難しく、その全体像の把握は十分とは言えない。新学術領域研究 「変わりゆく気候系における中緯度大気海洋相互作用hotspot」の計画研究 「A02-5 ハイブリッド海洋観測:黒潮続流域の循環変動とその大気・生物地球化学への影響」では、 再循環域において複数のフロートおよびグライダーを用いた集中観測を行うことにより、STMWの沈み込みによって 海洋内部に取り込まれた水温・塩分・溶存酸素偏差が低緯度の海面に再出現する過程を明らかにしようとしている。 しかしながら時間スケールに関する情報が無ければ、その過程を定量的に議論することは難しい。

図1

2011年3月に発生した福島第一原子力発電所(福島原発)事故によって放出された放射性セシウムの7~8割は、 北太平洋に沈着・流入したと推定されている。事故から9年以上が経過した現在、その福島事故由来放射性セシウムは 風成循環流によって北太平洋全域に広がりつつある。黒潮フロントの北側、すなわち混合海域および亜寒帯域に 沈着・流入した放射性セシウムは、北太平洋海流に沿って西から東に運ばれた(図1)。一方、フロント南側の 黒潮再循環域に沈着した放射性セシウムは、同海域における深い鉛直混合によって海洋内部に取り込まれ、 STMWの移流に伴って亜表層を南に運ばれた(図1)。事故からおおよそ10ヵ月後(2011年11月~2012年2月)の 東経142~149度線の鉛直断面図からは、事故起源放射性セシウムが深度200~400mを中心としたSTMW層を北緯20度まで 速やかに運ばれた様子が捉えられている(図2)。このような急速な南への輸送は、従来の地衡流的な循環モデル(図3) では説明することが困難であり、この分野の研究コミュニティに一石を投じる結果となった。その後の観測研究によって、 事故起源放射性セシウムはその濃度を低下させながら、西部亜熱帯域に広がっていることが明らかにされているが(図4)、 STMWが海面に再出現するとされている低緯度海域におけるその挙動は観測データが無いために不明である。

図2, 図3

図4

本研究では、上記の計画研究A02-5による「集中観測」に合わせて、2020年7月に東経137度線上の北緯5度~32度の範囲、 すなわちSTMWの沈み込み海域から再出現海域を広くカバーする範囲において海水試料を採取する(図5)。その中に含まれる 福島原発事故起源の放射性セシウム濃度を測定し、STMWの沈み込みによって黒潮再循環域に取り込まれた 事故起源放射性セシウムの子午面鉛直2次元分布を明らかにする。事故起源放射性セシウムはその履歴が はっきりわかっている理想的なトレーサであり、事故から約9年半を経過した後のその分布から、STMWの子午面2次元循環の 時間スケールとその間の混合(変質)過程を定量的に議論することを本研究の目的とする。STMWの移流による 事故起源放射性セシウムの急速な輸送は、従来の地衡流的な循環モデルでは説明することが難しい。このことは 海洋渦構造、すなわちメソスケールおよびサブメソスケール構造の寄与が大きいことを強く示唆している。本研究で 得られる福島事故起源放射性セシウムの分布と、フロート及びグライダーによる海盆規模の高密度な海洋物理観測の 結果を組み合わせることによって、海洋渦構造との関連を主要テーマとする新たな海洋循環観測研究の創造も期待される。

図5

放射性セシウム測定用の海水試料は、2020年7月に気象庁観測船による東経137度線に沿った観測において 1000m以浅で採取する予定である。航海終了後、海水試料は直ちに測定前の前処理(濃縮作業)に供される。濃縮作業は、 2段階に分けて行われる。1回目はリンモリブデン酸アンモニウム(AMP)を用いた濃縮法によって、試料サイズを 約1/10,000に縮減する。さら測定の妨害物質を取り除くために、AMPを強アルカリで溶解させた後にセシウムを 白金酸塩沈殿として回収する方法で2回目の濃縮を行う。この2回の濃縮によって、放射性セシウム測定の 検出下限値を約0.1 Bq/m3まで低下させることが可能となる。放射性セシウムの測定は、低バックグランドの ゲルマニウム半導体検出器を用いて実施する。測定結果から得られた2020年7月における東経137度線に沿った 鉛直断面図と、気象庁の観測航海で取得された水温、塩分、溶存酸素などの物理観測データと合わせて解析する。