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2010年 11月 8日
独立行政法人海洋研究開発機構

深海微生物はエコ生活をする
〜海底に生息するアーキア(古細菌)がもつ新たな代謝経路の発見〜

1.概要

独立行政法人 海洋研究開発機構(理事長 加藤 康宏)海洋・極限環境生物圏領域の高野 淑識(よしのり)研究員と大河内 直彦プログラムディレクターは、当機構高知コア研究センターおよびドイツ・ブレーメン大学と共同で、深海底に生息しているアーキア(古細菌、※1)が、わずかなエネルギー源を有効に活用するために発達させたと考えられる新しい代謝経路を発見しました。

それは、質量数500を超える大きな分子を、細胞外(堆積物中)から細胞膜を通して細胞内に取り込み、それを自らの細胞膜の成分としてリサイクルするというプロセスです。アーキアはエネルギーの低い深海底において、周囲の環境中に含まれる有機物を使いまわす究極のエコ戦略を採用することによって、エネルギーをセーブしながら暮らしているということが本研究により明らかになりました。

この成果は、11月7日号のNature Geoscience誌(電子版)に掲載されます。

タイトル :
Sedimentary membrane lipids recycled by deep-sea benthic archaea
(深海底に生息するアーキアによる堆積物中に含まれる膜脂質のリサイクル)
著者名 :
高野 淑識、力石 嘉人、小川 奈々子、野牧 秀隆、諸野 祐樹、稲垣 史生、 北里 洋、Kai-Uwe Hinrichs、大河内 直彦

2.背景

深海底にはさまざまな微生物が生息しており、地球表層環境における炭素の循環に重要な役割を果たしています。中でも「アーキア(古細菌)」と呼ばれる微生物は、海洋や海底堆積物中におけるその分布や量が、従来考えられていたよりも大きいことが最近になって明らかになり、大きく注目を浴びています。しかし、海洋性のアーキアは、培養が難しく、海水や海底堆積物中でどのような活動を行っているのか、またどれくらいの活性をもっているのか(どれくらいの速度で代謝しているのか)といった基本的なことすら、まだ推測の域を出ていませんでした。そこで本研究グループは、世界で初めて海底でアーキアを培養する新たな実験手法を開発し、精密なバイオマーカー解析を応用した研究を始めました。

3.研究手法の概要

当機構が所有する無人探査機のハイパードルフィンを利用して深海底(相模湾底、水深1453m、図1)に長さ30cmほどのアクリル製の筒(コア)を数本突き刺し、コアの内部に13C(炭素安定同位体)でラベル化したグルコース(ブドウ糖)をコアの上部からシリンジで注入しました(図1)。

注入後、数日から1年以上経ってからコアを内部の堆積物とともに一本ずつ回収し、堆積物の中からエーテル脂質(※2)と呼ばれるアーキアの細胞膜の成分を単離しました。エーテル脂質とはグリセロールがイソプレノイド(※3)と呼ばれる炭化水素化合物にエーテル結合した構造をもつ有機分子で(図2)、アーキアだけによって合成されます。このエーテル脂質を堆積物中から単離した後、実験室で化学的に切断して、グリセロール(※4)とイソプレノイドという2つの化合物に分離しました。そして両者に含まれる13C濃度(炭素同位体比)を個々に測定して、シリンジから注入したグルコース起源の13Cが、分子内のどの部位に、どれくらい含まれているのかについて測定しました。

4.結果と考察

測定の結果、グリセロールには大量の13Cが見いだされましたが、イソプレノイドにはほとんど見出せませんでした(図2)。このことは、13Cでラベルしたグルコースが、アーキアの細胞中でグリセロールを合成するための材料として用いられた一方で、イソプレノイド合成のための材料としては用いられなかったことを示しています。つまり、イソプレノイドは自ら作り出したものではなく、かつて自分たちの先祖が合成し、その死後も堆積物に残されていた、細胞外(堆積物中)にあったイソプレノイドをいったん細胞内に取り込み、グリセロールと反応させてエーテル脂質を合成し、自らの細胞膜に利用するという「リサイクル」をしていたと考えることができます。

イソプレノイドは炭素数40、質量数562という大きな分子であり、こういった大きなサイズの有機分子をアーキアがリサイクルするメカニズムはこれまで知られていませんでしたが、本研究によってアーキアの細胞膜に大きな分子を取り込むプロセスが存在することを初めて明らかにしました(図3)。

また、現在イソプレノイドへの13Cの取り込み速度を調べることによってアーキアの活動度(成長・再生などのスピード)を推定していますが、本研究によって、現在の手法では、実際のアーキアの活動度を過小評価しており、これまで推定されてきた活動度よりもかなり大きな活動度が期待される結果が示唆されました。つまり、アーキアが海底における物質循環に従来考えられていたよりも大きな役割を果たしているものと推定されます。

5.今後の展望

本研究は、今後とも全地球規模の炭素循環の解明を目指して進めていきますが、波及効果として、微生物による環境修復や安定同位体比分析技術の産業応用等による幅広い社会貢献が期待されるものです。具体的な展望としては、次のとおりです。

(1)全地球規模の炭素循環の解明

海洋は、全地球の70%を占めます。また、アーキアは、陸上水圏や土壌中にも棲息しています。このため、本研究で明らかになったアーキアの細胞膜をイソプレノイドのような質量数500以上の分子が通過するメカニズムを解明し、海底下深部に広がるアーキアの活動度を正しく評価することができるようになれば、アーキアの地球環境における役割が明らかとなり、地球温暖化などの地球環境変動に関わりの深い全地球規模の炭素循環の解明への貢献が期待されます。今後、海底下のアーキア総量と海洋全体のアーキアの活動度推定の信頼度を上げ、全海洋スケールで海洋アーキアの炭素循環に対する貢献度について定量的なシミュレーションを行う予定です。

(2)微生物による環境修復研究への進展

一般にエーテル結合は、化学的に強度が高く非常に分解しにくいことが知られています。人為由来である環境汚染物質のエーテル化合物(例えば、毒性のあるダイオキシンや環境ホルモンであるノニルフェノール等)は、生物に有害に作用することもあります。しかし、今回の研究から海底堆積物にはエーテル結合を切断(分解)できる微生物が多数存在していることが推定されます。このため、海底堆積物に棲息する微生物(アーキアおよびバクテリアを含む)のうち、どの微生物が主要なエーテル結合の分解者であるかを突き止め、単離・培養することができれば、人為的に汚染された環境の修復に応用することが期待されます。

(3)分子内の安定同位体比分析技術が拓く新たなイノベーション

今回の研究手法の一つの「鍵」は、有機化合物の分子内の安定同位体比を追跡・解読するという最先端の分析技術です。この高精度の技術は、微生物生態学・地球生命科学の研究領域だけではなく、将来的には、環境アセスメントなどの環境モニタリング分野、製薬などの医療分野をはじめ、厳密な品質検定や物質動態分析を必要とする様々な産業分野にも波及効果が見込まれるもので、グリーンイノベーション、ライフイノベーションの双方に貢献することが期待されます。

※1 アーキア(古細菌)

地球上のあらゆる生命体は、アーキア(古細菌)・バクテリア(真正細菌)・ユーカリア(真核生物)の三つに分類される。微生物の多くはアーキアとバクテリアに属しているが、両者は細胞膜を構成する極性脂質の構造が異なるため区別することができる。

※2 エーテル脂質

アーキアの細胞膜に含まれる脂質。エーテル結合(酸素原子と2つの炭素原子が結ばれた結合)によって、イソプレノイド(※3)部とグリセロール(※4)部とが結ばれている(図2)。この結合様式はアーキアに特徴的なもので、バクテリアでは、エステル結合によって結ばれている。

※3 イソプレノイド

細胞内で合成される有機分子の一群を指す名称。本研究で対象になっているイソプレノイドは、炭素原子5つと水素原子8つが結合したイソプレンと呼ばれる分子が8つ結合した分子で、炭素数40で質量数562。

※4 グリセロール

油脂を構成する成分として生物界に存在するアルコールの一種。炭素数3で質量数92。

図1

図1. 実験を行った場所の地図。(a)培養システムの設置に使用した無人探査機ハイパードルフィン(b)(c)無人潜水艇ハイパードルフィンを用いて水深1453mの相模湾海底に設置した海底培養システム。アクリル製の筒(Core)の上にシリンジがセットしてある。

図2

図2. (上)アーキアの細胞膜の成分であるエーテル脂質のうち、今回分析に用いたクレンアーキオールの構造。(下)相模湾海底において行った現場培養実験の結果。グリセロールは、時間の経過に伴って13C濃度(炭素同位体比)が上昇しており、シリンジから導入されたグルコースの炭素を使ってグリセロールを合成したことがわかる。それに対し、イソプレノイドはほとんど13C濃度があがらず、グルコース起源の炭素が含まれていないことがわかる。13C濃度の増加傾向は、カルドアーキオールと呼ばれるもう一方の化合物も同様な結果を示した。

図3

図3. イソプレノイドが細胞外から細胞膜にあるチャンネルを通して取り込まれるプロセスの仮説。イソプレノイド分子は末端に親水性の極性基(ヒドロキシル基)をもっており、ポーリンチャンネルの親水性タンパク質と吸着することにより、膜の通過口から細胞内へ取り込まれる。次いで、細胞内で生命活動に必要な有機化合物に再構成・再利用されていると考えられる。

お問い合わせ先:

独立行政法人海洋研究開発機構
(本研究について)
海洋・極限環境生物圏領域 海洋環境・生物圏変遷過程研究プログラム
プログラムディレクター
研究員
大河内 直彦 電話:046-867-9790
高野 淑識 電話:046-867-9802
(報道担当)
経営企画室 報道室長 中村 亘 電話:046-867-9193