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プレスリリース

2019年 5月2日
国立研究開発法人海洋研究開発機構

人間活動により放出された鉄粒子は大気汚染の影響で海水へ溶けやすくなる
~陸から遠く離れた海の生き物への鉄分供給サプリメント~

1. 発表のポイント

国際共同研究(GESAMP)を取りまとめ、いくつか提案されていた仮説から一つの結論を導き出した。
統計的な解析の結果、大気汚染に由来するエアロゾル中において、人為起源鉄は水に溶けやすい性質に自然起源鉄よりも速く変化することが示された。
人為起源の酸化鉄が海洋生態系へ栄養塩をもたらす重要な役割を果たすことを示唆しており、今後、地球システムモデルを活用した影響評価により海洋環境保全策へ貢献するものと期待される。

2.概要

国立研究開発法人海洋研究開発機構(理事長 平 朝彦、以下「JAMSTEC」という。)地球環境部門環境変動予測研究センター地球システムモデル開発応用グループの伊藤彰記主任研究員らは、国際共同研究(GESAMP、※1)を取りまとめ、複数の全球大気化学輸送モデル(※2)を用いた予測結果と様々な海域における観測データを統計的に解析しました。その結果、人為起源鉄(※3)は、大気を通して海に運ばれる間にその化学的性質を変えて、微細粒子(エアロゾル)中で水に溶けやすい鉄が多く含まれる主要因となることを明らかにしました。

鉄は、海洋の植物プランクトンにとって必要な栄養素です。鉄が不足する海域では、大気中のエアロゾルにより供給される溶存鉄(※4)が重要となります。海洋への鉄供給源としては、これまで低い鉄溶解率(※5)を示す自然起源の酸化鉄のみが考えられていました。それに対して近年、大気汚染の影響を受けたエアロゾルは高い鉄溶解率を示すことが観測により示唆されています。しかし、観測データのみからでは、なぜエアロゾルが高い鉄溶解率を示すのか明らかではありませんでした。また、数値モデルによる鉄溶解率の予測結果はばらつきが大きく、その手法によって何が原因で高い鉄溶解率をもたらすのか結論が異なっていました。そこで本研究では、複数の数値モデルによる予測結果と観測データを組み合わせて、統計的な解析を行い、海洋大気中で観測された高い鉄溶解率に関する謎の解明を試みました。

その結果、エアロゾル中の高い酸性度による人為起源鉄の溶出速度増加を予測した数値モデルが、鉄溶解率の高さや変動を最もよく再現していることがわかりました(図1)。本結果から、大気汚染に由来するエアロゾルでは、高い酸性度の溶液中で光化学反応によって人為起源鉄が水に溶けやすい性質に変化していることを示しています(図2)。また、従来考えられていた自然起源の酸化鉄とは異なる人為起源の酸化鉄が、陸から遠く離れた海洋生態系へ栄養塩をもたらす重要な役割を果たすことを示唆しています。

今後、人間活動による化石燃焼の燃焼が植物プランクトン(一次生産者)を起点とした食物連鎖(海洋生態系)へ与える影響を評価し、より有効な海洋環境保全策へ貢献することが期待されます。さらに、本研究で得られた知見は、既存の大気・海洋生態系間の相互作用を考慮に入れた地球システムモデル(※6)の生物地球化学と気候の相互作用における改善を迫る重要な成果です。

なお、本研究はJSPS科研費JP16K00530及び文部科学省 統合的気候モデル高度化研究プログラム(※7)・領域テーマB「炭素循環・気候感度・ティッピング・エレメント等の解明」の助成を受けた研究に基づいており、海洋環境保護の科学的側面に関する専門家会合(GESAMP)の国際共同研究の一環として実施されたものです。本成果は、Science Advances誌に5月2日付け(日本時間)で掲載される予定です。

タイトル:Pyrogenic iron: The missing link to high iron solubility in aerosols
著者名:伊藤彰記1*, Stelios Myriokefalitakis2,3, Maria Kanakidou4, Natalie M. Mahowald5, Rachel A. Scanza5, Douglas S. Hamilton5, Alex R. Baker6, Timothy Jickells6, Manmohan Sarin7, Srinivas Bikkina7, Yuan Gao8, Rachel U. Shelley9, Clifton S. Buck10, William M. Landing9, Andrew R. Bowie11, Morgane M. G. Perron11, Cécile Guieu12, Nicholas Meskhidze13, Matthew S. Johnson14, Yan Feng15, Jasper F. Kok16, Athanasios Nenes3,17, 18, Robert A. Duce19
所属:1.JAMSTEC、2. ユトレヒト大学、3.アテネ国立天文台、4.クレタ大学、5.コーネル大学、6. イースト・アングリア大学、7. インド国立物理学研究所、8.ラトガース大学、9. フロリダ州立大学、10. ジョージア大学、11. タスマニア大学、12. Guieu Cecile、13.ノースカロライナ州立大学、14.エイムズ研究センター、15.アルゴンヌ国立研究所、16.カリフォルニア大学、17.スイス連邦工科大学、18.FORTH、19.テキサスA&M大学

3.背景

チャールズ・ダーウィンは進化論で有名ですが、ビーグル号で大西洋を航行中に海洋大気中で浮遊するエアロゾルを観測していたことをご存知でしょうか。その当時から、砂漠から巻き上げられた小さな砂粒が海洋へと大気を通して運ばれていたことが観測されていました。現在では、その様子を衛星観測から見ることができます。その自然起源エアロゾルには、生命を維持するのに必要なミネラルとして「鉄」がわずかながら(3.5%程度)含まれています。さらにその中には、わずかに「溶存鉄」(1%程度)が含まれていることが観測されています。この溶存鉄は海洋の植物プランクトンの成長にとって必要な栄養素です。一方、海水中において、植物プランクトンが利用可能な溶存鉄は、多くの海域で著しく少ないことが知られています。そのため、北太平洋亜寒帯や南大洋といった鉄不足により植物プランクトンの成長が阻害されている海域では、大気から海洋へ供給される溶存鉄が、食物連鎖を通して海洋生態系や気候へ影響を与えると考えられます。現存する地球システムモデルでは、大気から海洋へと供給される溶存鉄として自然起源のみが考慮されています。近年、大気汚染の影響を受けたエアロゾル試料では、1%よりも一桁以上に高い鉄溶解率を示すことが、観測により示唆されています(図1a)。そのため、エアロゾルの発生源ごとに、どの溶存鉄がどれだけ海洋生態系へ供給されるか、その割合を明らかにすることは、人間活動が海洋環境へ与える影響をより良く評価し、より有効な海洋環境保全策を策定する際に有用な情報となります。しかし、大気中の微小粒子中に観測される高い鉄溶解率の謎を説明するために様々な仮説が提案されていているものの、その発生源と溶出過程との関係は未解明な部分が多く、地球システムモデルで考慮されていませんでした。そこで本研究では、独自に開発してきた全球大気化学輸送モデルを中心とした4種類の数値モデル結果と複数の観測データを統計的に解析し、モデル再現性の比較等を行うことで、鉄溶解率に関する謎の解明を試みました。

4.成果

エアロゾル試料中の酸化鉄は、0.02%から98%まで幅広い鉄溶解率を示すことが観測事実により、知られています(図1a)。その理由を説明するために、いくつかの仮説が提案されています。その仮説を基に構築された数値モデルが、全球大気化学輸送モデルです。国際共同研究(GESAMP)では、その中でも大気中で自然起源エアロゾルが輸送される間に、比較的水に溶けにくい鉄が溶けやすい鉄に変質する過程を考慮に入れた4種類の数値モデル(IMPACT/TM4-ECPL/CAM4/GEOS-Chem)による解析結果を用いました(※8)。特徴として、IMPACTのみが、人為起源エアロゾル中の酸化鉄が自然起源と比べて、速い速度で溶出することを考慮に入れています。

それら4種類の数値モデル結果と観測結果を統計的に解析することで、IMPACTのみが、鉄濃度が低いエアロゾル中で、鉄溶解率が高い観測データを再現しました(図1b)。さらに、その発生源ごとの内訳を表した色の違いを見ると、鉄溶解率が高い場合には人為起源溶存鉄の割合が高いことがわかります。そして、様々な海域で採集されたエアロゾル試料についても解析した結果、人間活動の影響をより強く受けた北半球で、IMPACTは鉄溶解率の変動を最も良く再現できました。

次に、本数値モデル予測データに基づく大気から海洋へ供給される溶存鉄供給量から、人為起源の全ての鉄および溶存鉄の割合を算出しました(図2)。一般的に知られているように、全ての鉄そのものは砂漠地帯から巻き上げられた自然起源のエアロゾルが主な供給源です(図2a, d, g)。一方、図2b, e, hから、溶存鉄の供給はモデル間で大きなばらつきがあることが見られます。図2c, f, iでは、人為起源エアロゾル中の酸化鉄は自然起源と比べて、発生源付近では溶けやすい鉄を多く含むが、その後、大気中での溶出過程を無視した場合の結果を示します。図2bと図2cは、IMPACTにおいて大気中の鉄溶出過程を考慮に入れることで、人為起源鉄の割合が増すことを示しています。この結果は、自然起源鉄に比べて人為起源鉄の影響をより強く受けたエアロゾルでは、その鉄溶解率のより急激な上昇が観測されている事実とよく一致しています。以上の結果から、北太平洋亜寒帯や南大洋のように、鉄不足のため植物プランクトンの成長が阻害されている海域では、大気から海洋へ供給される人為起源の溶存鉄が、陸から遠く離れた海洋生態系へ栄養塩をもたらす重要な役割を果たすことが示唆されます。

5.今後の展望

エアロゾルにより海洋へ供給される溶存鉄は、食物連鎖を通して海洋生態系へ影響を与えます。また、都市大気中に存在する溶存鉄は、呼吸により体内に取り込まれ、健康被害を及ぼしていると指摘されています。そのため、気候に対する影響だけでなく海洋生態系や健康被害の観点からも、人為起源鉄の実態を解明することが重要です。統合的気候モデル高度化研究プログラムでは、作成した溶存鉄供給量を用いて、鉄循環を含めた物質循環を取り扱う地球システムモデルでより長期的な計算を行い、海洋生態系および気候へ与える影響を評価する予定です。

[用語解説]

※1 GESAMP:国連が組織する科学者による合同専門家会合であり、正式名称は「海洋環境保護の科学的側面に関する専門家会合」。人類の活動が海洋に与える影響を、国や国際機関から独立した立場から科学的に評価し、政策の立案に資するアドバイスを提示することを目的とする。

※2 大気化学輸送モデル:大気中の化学反応や風などによる輸送過程を考慮し、大気中の様々な物質の分布とその時間変化を、大型計算機を用いて計算する数値モデル。過去の物質分布の変動要因を説明するためだけでなく、さまざまな化学物質の放出規制が将来の大気環境およびその気候に及ぼす影響を評価するためなどにも利用される。

※3 人為起源鉄:大気中に存在する微細粒子に含まれる鉄のうち、化石燃料の燃焼等の人間活動によって放出される鉄。

※4 溶存鉄:水の中で溶けた状態の鉄のこと。エアロゾル表面や海水中では、主に有機錯体の状態で安定に存在すると考えられる。

※5 鉄溶解率:鉄溶解率は、微細粒子に含まれる鉄のうち、水に溶ける鉄の割合。海水に溶けにくい鉄は、ほとんどの生物に利用されないまま、海底へと沈降するため、エアロゾルが海洋生態系へ与える影響を評価する際に重要な指標となる。

※6 地球システムモデル:陸域や海洋における生態系活動やエアロゾルの化学反応など生物地球化学と気候の相互作用を考慮した気候モデルのこと。

※7 統合的気候モデル高度化研究プログラム:気候変動研究の更なる推進とその成果の社会実装に取り組むべく、「気候変動リスク情報創生プログラム」(平成24~28年度)の成果を発展的に継承しながら、4つの研究領域テーマを連携させた統合的な研究体制を構築し、気候変動メカニズムの解明、気候変動予測モデルの高度化や気候変動がもたらすハザードの研究等に取り組み、高度化させた気候変動予測データセットの整備に挑む。

※8 IMPACTは、船舶による重油燃焼起源エアロゾル中の酸化鉄が自然起源と比べて、発生源付近では溶けやすい鉄を多く含み、全ての人為起源エアロゾル中の酸化鉄が自然起源と比べて、速い速度で溶出することを考慮に入れている。TM4-ECPLは、人為起源エアロゾル中の酸化鉄が自然起源と比べて、発生源付近では溶けやすい鉄を多く含むが、輸送過程では溶出しないことを仮定している。CAM4は人為起源エアロゾル中の酸化鉄が自然起源と比べて、発生源付近で溶けやすい鉄を多く含み、輸送過程で溶出はするが、その速度は、自然起源と比べて、同程度の速度で溶出することを仮定している。GEOS-Chemは人為起源エアロゾル中の酸化鉄を考慮しないで、自然起源エアロゾルのみが輸送過程で鉄溶解率を高くすると仮定している。

図1

図1. エアロゾル中の鉄濃度 (ng m–3) に対する鉄溶解率 (%)の関係。数値モデルによる予測結果の色は、エアロゾル中の全ての溶存鉄に対する人為起源溶存鉄の割合を表す。

図2

図2. (a, d, g)エアロゾル中の全ての鉄粒子のうち人為起源鉄の割合。(b, e, h)大気中の化学反応まで考慮した、人為起源の溶存鉄粒子の割合。(c, f, i)大気中の化学反応を考慮しない、人為起源の溶存鉄粒子の割合。

国立研究開発法人海洋研究開発機構
(本研究について)
地球環境部門環境変動予測研究センター地球システムモデル開発応用グループ
主任研究員 伊藤彰記
(報道担当)
海洋科学技術戦略部 広報課
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