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プレスリリース

2020年 3月 25日
国立研究開発法人海洋研究開発機構
総合地球環境研究所
国立大学法人東京大学
国立大学法人北海道大学

サケの骨に刻まれた大回遊の履歴
―“同位体”が解き明かす、知られざる海での回遊ルート―

1. 発表のポイント

サケの背骨に記録されている、過去の“窒素同位体比”の履歴と、北太平洋における窒素同位体比の分布地図を比較することで、サケの回遊ルートを推定する画期的な分析手法を開発した。
サケは、成長に伴って北太平洋を北上し、最終的にベーリング海東部の大陸棚に到達することが初めて明らかになった。この海域は餌資源が非常に豊富なため、サケが性成熟に必要な栄養を摂取する「大回遊のゴール」となっていることが考えられる。
本手法は、北太平洋を回遊する多くの海洋生物に適用可能と考えられる。

2. 概要

国立研究開発法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)海洋機能利用部門生物地球化学プログラムの松林順JSPS外来研究員と大河内直彦プログラム長、国立大学法人東北大学の長田穣助教(現在、国立研究開発法人水産研究・教育機構研究員)は、水産研究・教育機構、北海道大学、東京大学及び総合地球環境学研究所の研究者と共同で、海洋の同位体比地図(アイソスケープ)を用いてサケの回遊経路を個体レベルで推定する手法を開発しました。

サケ(通称シロザケ、Oncorhynchus keta)は私たちにとって、今も昔もなくてはならない重要な資源です。サケは川で卵から孵ると早い段階で海に下り、その後4年ほどかけて北太平洋を回遊した後、産まれた河川に戻るという興味深い生態を持っています(図1)。しかし、彼らがどこを旅する(回遊する)のか、そもそもなぜ海の広い範囲を旅するのかはよく分かっていませんでした。現代の技術であっても個体ごとにサケの海での回遊を長期間追跡することはできなかったため、彼らの回遊に関する十分な知見が得られていなかったのです。

そこで、本研究ではサケの長期間にわたる回遊を追跡するために、“同位体比()”を用いた新しい回遊経路推定手法を確立しました。付加的に成長する魚の脊椎骨には、彼らの過去の生息海域におけるさまざまな同位体比の履歴が保存されています(図2)。このうち窒素同位体比は、海域によって大きく値が異なっているため、地図における「緯度経度」のように魚類の生息海域を特定することが可能です。これを利用して、魚の窒素同位体比の履歴と同位体比地図を組み合わせることで、過去の魚の回遊経路を復元できると考えました。

私たちは最先端の窒素同位体比分析技術を駆使して、北太平洋の広範囲をカバーする同位体比地図を作成しました(図3)。続いて、北日本の複数河川で採取したサケの脊椎骨を成長方向に分割して、窒素同位体比を測定しました。最後に、得られたサケの窒素同位体比の履歴と同位体比地図からサケの回遊経路を個体ごとに推定する統計モデルを構築しました(図4)。

解析の結果、サケが成長に伴って日本近海からベーリング海へと北上する既知の回遊ルートを再現しました。さらに、サケが成長の最後の段階でベーリング海東部の大陸棚に到達することが初めて明らかになりました。サケの成長の最後の段階は、彼らが性成熟する時期と一致します。これらの結果を総合的に解釈すると、海洋におけるサケの回遊は、餌資源が非常に豊富なベーリング海大陸棚で採餌し性成熟することで終わる、つまりこの海域がサケの大回遊のゴールとなっていることが考えられます。

本研究で開発した分析手法及び同位体比地図は、北太平洋を回遊する他の魚種の回遊経路推定にも応用可能です。

本研究は、国立研究開発法人科学技術振興機構戦略的創造研究推進事業(JST CREST:JPMJCR13A4及びJPMJCR13A3)、日本学術振興会科研費(JSPS KAKENHI:17J04991及び19K20495)、文部科学省北極研究推進プロジェクト(ArCS)及び東北マリンサイエンス拠点形成事業(TEAMS:JPMXD1111105260及びJPMXD1111105259)の支援を受けて実施されました。また、用いた標本の一部は、水産庁「我が国周辺資源調査・評価事業」並びに「国際資源評価調査事業」により採集、解析されたものです。

本成果は、Wiley-Blackwell社が発行する学術雑誌「Ecology Letters」に3月25日付(日本時間)で掲載されました。

タイトル:Tracking long-distance migration of marine fishes using compound-specific stable isotope analysis of amino acids
著者:松林順1, 2*, 長田穣1, 3*, 田所和明4,阿部義之5(当時),6,山口篤5,白井厚太朗6,本多健太郎4,吉川千里2,小川奈々子2,大河内直彦2,石川尚人2,永田俊6,宮本洋臣4,西野茂人2,陀安一郎1
所属:1.総合地球環境学研究所,2.国立研究開発法人海洋研究開発機構,3.東北大学大学院生命科学研究科,4.国立研究開発法人水産研究・教育機構,5.北海道大学大学院水産科学研究院,6.東京大学大気海洋研究所
*この論文に等しく貢献した著者

3. 背景

サケ(通称シロザケ、Oncorhynchus keta)は私たちにとって馴染みの深い食材です。その一方で、彼らはその独特な回遊生態から数多くの研究者を魅了してきました。過去に実施された大規模な漁獲調査から、日本のサケは以下のような回遊経路を持つことが明らかになりました。サケは春に卵から孵ると、早い段階で海に下り、まずオホーツク海を目指します。それからベーリング海に向かって北上し、ベーリング海とアラスカ湾を行き来しながら数年かけて成長して、最終的に産まれた河川へと帰って来ます(図1)。この中で、河川から海もしくは海から河川への回遊については、これまで数多くの研究がなされてきました。しかし、彼らが一生の大半を過ごす海での回遊はあまり調査されていません。海中を長距離移動する動物を長期間追跡するためには、多大な予算と技術、労力が要求されるためです。

サケの海での回遊における謎の一つが、なぜ彼らは日本から3000kmも離れたベーリング海まで泳いで行くのか?という点です。これまで実施されてきたような、多個体のデータに基づいて推定された回遊経路では、この問いに答えることができませんでした。これを明らかにするためには、サケの長期間の回遊を個体ごとに追跡する手法を開発し、多くの個体が共通して利用する“重要な海域”を特定する必要があると考えました。

そこで私たちが注目したのが窒素同位体比を用いる方法です。生態学的な研究では、生物の食べ物や栄養源を調べるときにこの分析方法がよく使われています。しかし、一定の条件を満たせば生物の回遊経路の推定にも応用可能です。そこで、本研究では世界で初めて窒素同位体比によるサケの回遊経路推定に取り組みました。

4. 成果

窒素同位体比を使って動物の移動を復元するためには、まずその動物の生息範囲内における同位体比地図を作る必要があります。私たちは、北太平洋の広範囲で採取された動物プランクトン試料(水産研究・教育機構及び北海道大学が保管している試料)の分析から、北太平洋の同位体比地図を作成しました(図3)。この同位体比地図は、海域の違いを特異的に反映するフェニルアラニン(アミノ酸の一種)の窒素同位体比に基づいて作成されています。

続いて、魚が過去から現在までに経験した窒素同位体比の履歴を復元する必要があります。魚の脊椎骨は付加的に成長するため、この窒素同位体比の履歴を復元することができます(図2)。私たちは、サケの脊椎骨を成長方向に複数の切片に刻み、窒素同位体比の履歴を復元しました(図4)。

最後に、サケの窒素同位体比の履歴と同位体比地図を組み合わせて、サケの回遊経路を個体ごとに推定する統計モデルを構築しました。実際にこのモデルを使ってサケの回遊経路を推定したところ、日本近海から成長に伴ってベーリング海に移動する、既知の回遊経路を再現しました(図4)。それだけでなく、サケが成長の最後の時期にベーリング海東部の大陸棚へ回遊するという新たな経路の存在が示されました。サケの成長の最後の時期は、彼らが性成熟する時期に相当します。これらの結果から、サケは栄養塩に富み生物生産が非常に盛んなベーリング海大陸棚で甲殻類などの餌を食べて性成熟することで海での回遊を終える、つまりこの海域はサケの海での回遊のゴールとなっていることが考えられます。

一方で、サケの脊椎骨の窒素同位体比には、従来知られていたベーリング海とアラスカ湾との行き来やベーリング海から日本沿岸へと戻るときの回遊の情報は含まれていませんでした。これは、越冬海域であるアラスカ湾や性成熟後の母川へと戻る回遊中に骨が十分成長していないことに起因すると考えられます。

本研究の成果から、普段私たちが食べているサケが、実は遥か遠くのベーリング海大陸棚の生態系に支えられていることが明らかになりました。この結果は、サケが私たちの想像よりもずっと広い世界と密接に関わっており、こうした資源を将来に渡って持続的に利用するためには、サケが生まれ、いずれ帰ってくる河川や沿岸の環境だけではなく、旅先の海洋変動などにも着目していかなければいけないことを示唆しています。

5. 今後の展望

本研究で作成した同位体比地図は、北太平洋を回遊するあらゆる動物種に適用可能です。したがって、今後は同位体比を使った回遊追跡を他のさまざまな魚種に適用して、その回遊生態の解明に取り組みたいと考えています。例えば、今回対象とした日本産のサケではベーリング海東部の大陸棚が重要な生息地になっていましたが、他の地域で産まれたサケは全く異なる回遊経路を持っている可能性もあります。また、サケ属の他の種の回遊経路も併せて調べることで、サケの仲間が海でどのように生息地を分けているのか、あるいは競合しているのかが見えてくるでしょう。

また、同位体比を用いた回遊追跡を適用できる範囲や対象種を拡大するためには、より大きな場所で、より多種の同位体元素の分布地図を描くことが必要です。このため、世界全体を対象とした同位体比地図の拡充にも取り組んでいます。

同位体比:同じ原子番号(=陽子数)の核種のうち、中性子数が異なる(=質量数が異なる)原子の存在比のこと。窒素では、質量数14(14N)と15(15N)の安定同位体が存在し、同位体比は15N/14Nで表す。

図1

図1 既知のサケの回遊ルート(浦和 2015を基に作成)と各海域の大まかな場所。

図2

図2 サケ脊椎骨に記録されている、過去の同位体比履歴のイメージ。成長した魚体の脊椎骨の中心部には古い同位体比の情報が、辺縁部には最近の情報が保存されている。脊椎骨のイラストは、Koch et al. (1992)を基に作成。

図3

図3 北太平洋における窒素安定同位体比の同位体比地図。ベーリング海東部の大陸棚では、特に高い同位体比となっていることが分かる。

図4

図4 フェニルアラニンの分析を実施したサケ2個体の窒素安定同位体比の履歴(上図)と、そこから推定した回遊経路(下図)。同位体比は、成長の終盤にあたる外側の脊椎骨切片で最も高い値を示し、ベーリング海東部大陸棚(図3参照)がサケの回遊のゴールになっていると推定された。その他の6個体はアミノ酸の窒素安定同位体比は測定していないが、タンパク質全体の同位体比の時系列変化の傾向は、この2個体と一致していた。このため、本研究で示された回遊経路は、多くの個体で共通していると考えられる。

(本研究について)
国立研究開発法人海洋研究開発機構
海洋機能利用部門 生物地球化学プログラム
JSPS外来研究員 松林 順
海洋機能利用部門 生物地球化学プログラム
プログラム長 大河内直彦
(報道担当)
国立研究開発法人海洋研究開発機構
海洋科学技術戦略部 広報課
大学共同利用機関法人人間文化研究機構 総合地球環境学研究所
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東京大学大気海洋研究所
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総務企画部広報課
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