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25年の軌跡

2000年

3月3日に横須賀港第3区で沈降試験を行った後、南西諸島海域にて3回の試験潜航と6回の訓練潜航を実施した。その後、5月23日から6月23日の間に日本海溝において91年に発見した海底の亀裂(マネキンバレー)や冷湧水生物群集等の潜航調査を15回実施した。7月10日から7月18日の間、南海トラフにおいて活断層域の地形地質調査および冷湧水生物群集の潜航調査を4回実施後、7月20日に清水港で一般公開を行った。7月21日から8月16日まで南西諸島海域において海底熱水噴出域の潜航調査を11回実施後、8月19日に唐津で一般公開を行った。
9月1日から9月21日までは、伊豆・小笠原海域において大町海山や孀婦岩構造線北西部小海丘など地形地質調査のため8回の潜航調査を実施した。9月22日から10月3日の間は、南海トラフで付加体構造や断層域調査のため7回の潜航調査を実施した。10月19日から11月21日の間は、南海トラフにて地形地質調査および冷湧水生物群集の調査のため11回の調査潜航を実施した。11月23日から潜水船整備場において中間検査工事を開始した。この年は、外航はなく日本周辺海域の調査に集中した年だった。

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2001年

3月1日に横須賀港第4区にて沈降試験を行った後、南西諸島海域において3回の試験潜航と6回の訓練潜航を実施した。その後、5月18日から6月11日の間、伊豆・小笠原、南海トラフおよび駿河湾などで地形地質調査を主体とする潜航調査を15回実施した。6月25日から7月24日の間、日本海溝、千島海山および日本海にて地形地質調査および冷湧水生物群集調査など15回の潜航調査を実施した。7月21日には、大洗港に入港し一般公開を行った。7月30日からは「しんかい6500」とって初めてとなる真夏の中間検査工事が開始された。これは1月から2月に夏シーズン(海況が安定)を迎えるインド洋を調査するための前倒しの検査工事だった。
11月1日に復旧後の潜水船の健全性を確認するため横須賀港第4区で沈降試験を実施後、南西諸島海域で2回の試験潜航と4回の訓練潜航を実施した。
12月7日「よこすか」は「しんかい6500」を搭載し、インド洋向け出港した。回航途中の12月18日オーストラリアのポートヘットランドへ入港し、研究者乗船および燃料補給を実施し、12月20日に調査海域向け出港した。10日間の長い回航を終えた12月31日の大晦日、インド洋における第1回目の潜航調査を無事に終了し、この年を終えた。

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2002年

前年12月30日から1月27日の間、南西インド洋海嶺における地形地質調査のため12回の潜航調査を実施した。2月27日から2月30日までは、研究者乗下船および「よこすか」の燃料補給のためレ・ユニオン島に停泊した。2月30日から3月5日までの間、インド洋中央海嶺の熱水活動域「かいれいフィールド」での地球化学的調査および熱水生物群集の調査のため10回の潜航調査を実施した。3月5日ポートヘッドランド港にて研究者下船後、「よこすか」は横須賀向け回航し、3月18日に横須賀港へ帰港した。3月22日から3月31日の間、駿河湾にて5回の訓練潜航を実施した。
5月23日から5月30日の間、千島海溝にて地形地質および冷湧水生物群集の調査で3回の調査潜航を実施した。5月30日から6月17日の間、南海トラフおよび熊野舟状海盆にて泥火山や断層地形などの潜航調査を12回実施した。その後、7月1日にこの年2回目の外航となるハワイ諸島周辺調査に向け出港した。7月13日から8月4日の間は、ハワイ諸島周辺海域調査の前半戦で15回の潜航調査を実施後、ホノルルにて研究者乗下船および燃料補給を行った。8月11日から9月2日の間は、ハワイ諸島周辺調査の後半戦で15回の潜航調査を実施した。研究者が下船した9月3日「よこすか」は、横須賀港向けホノルルを出港し、9月14日横須賀に帰港した。帰港後間もない9月25日には、この年3日目の外航となるジャワ・スンダ海溝調査のためインドネシアに向け出港した。ジャカルタに入港した10月6日には、入港式典および特別公開を実施し、メガワティ大統領(当時)も訪船された。10月7日から10月31日の間、ジャワ島南方海域においてスマトラ断層東方延長部の海底活断層の調査で13回の潜航調査を実施した。研究者および運航チーム下船後の11月1日「よこすか」はバリ島を出港し横須賀港へ向けた。11月11日横須賀港へ帰港した翌日より「しんかい6500」定期検査工事が開始された。この年は、1月のインド洋調査から始まりハワイ、インドネシアと3回の外航が実施され、とてもタイトな年となった。

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2003年

4年に1度の定期検査工事を終え、4回の試験潜航後3月中に11回の訓練潜航を実施した。この訓練潜航航海中にはスペースシャトルに搭乗実績のある宇宙飛行士の毛利衛さんも乗船し水深6,500mまで潜航。宇宙から深海までという高低差を達成している。
4月からの約1ヶ月間には南海トラフで調査潜航を実施。天候が安定しない春先であることから海況不良に悩ませられながらも13潜航を行った。この間潜航中に潜水船の前後バランス調整用の水銀が漏洩する故障が発生したが、陸上スタッフおよびメーカーである三菱重工業神戸造船所の支援もあり、応急修理を実施し調査予定を完了する事が出来た。
7月には台湾付近の与那国海丘熱水域での調査潜航を実施。この海域から噴出する熱水にはガスの溶存率が高く、海底の泥の中にも多くのガスが溶け込んでいた。太陽光が届き間もなく海面へ浮上するころ潜水船の窓から辺りを見渡すと、沢山の気泡に囲まれていた。
まるでグラスに注いだ炭酸水の中を浮き上がっているかのような光景だ。サンプリングした泥や着底脚内に入り込んでしまった泥などから、水圧の低下と海面付近の温度上昇で溶存ガスが気泡化したと考えられる。ここでの調査終了後一気に北上し、北海道周辺の忍路海山および後志トラフでの地形・地質調査を行った。この海域は海流の関係により水深100m程で周辺水温は約1℃まで低下する、海底では0.1~0.2℃となっていた。つい先日まで南国にいた身にはこの環境の変化は大きい。口にはしなかったが、パイロット達は各々が体調管理に配慮していた事は言うまでもない。調査終了後には横浜新港へ入港した。ここで一般公開が開催され約2,700名の方が見学に訪れた。
8月から11月にかけては、グアム島周辺のマリアナ海溝海域で熱水活動域に関連した調査潜航を実施した。

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2004年

この年「しんかい6500」には建造以来となる大きな改善が、前年末より実施された中間検査工事で行われた。それは「しんかい6500」の心臓部とも言える主蓄電池の換装だ。
電池槽は流用したために外観の変化は見て取れなかったが、内部は従来の酸化銀亜鉛電池からリチウムイオン電池へと入れ替わり約100kgの軽量化を達成している。電池槽の蓋を開けると中にはコンパクトに纏められたメンテナンスフリーの単電池が整然と並んでいる。改善処置としては理想といえる「小型」・「軽量」・「ハイパワー」を地で行く主蓄電池となった。またメンテナンスフリーとなった事から以降の年間整備予定から「電池整備」の項目が消えることになる。
4月より国内の南西諸島海溝や伊豆小笠原海溝等で16回の調査潜航を行った後、MODE’98以来となる大航海を実施した。一般より募集し「NIRAI KANAI」と名付けられたこの航海は、その名の通り遥か遠い東の海である南東太平洋をターゲットとした航海で、寄港先をタヒチ・西サモア・ニュージーランド・フィジーと転戦しながら調査潜航を行った。なかでも東太平洋海膨海域での調査では、世界最大規模の溶岩流を発見と大きな成果を得ている。またこの航海には海外からの乗船研究者も多く参加している。アメリカからはNOAAの他にも本土やハワイの大学から、フランスからはIFREMER、ニュージーランドからもGNSからの研究者が乗船した。6月より始まったこの航海では合計27潜航を実施、さらにフレンチポリネシア海域に設置されていた地震計の回収を目的とした航海が追加されたため、全6台の回収潜航を急遽実施した。この地震計は自己浮上型であったが切離装置のトラブルのために未回収となっていた。もちろんこれらのトラブルも回収した機材より原因が究明され、改善改造を経て現在へと継承されている。

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2005年

この年も例年通り検査工事完了後の確認のための試験潜航と、それに引き続きパイロットの育成及び技量向上のための訓練潜航から幕を開けた。その後5月には日本列島のはるか東の北西太平洋、6月から7月にかけては紀伊半島沖南海トラフ、さらにマリアナ海域まで調査を行い8月にJAMSTEC本部に帰還。この年度はインド洋の調査航海が計画されており、現場海域の気象条件の良い南半球の夏季(即ち日本の冬)に赴くために、通常とは異なり8月から11月の期間で検査工事を実施し、まさに日本が冬本番を迎える頃、「よこすか」は「しんかい6500」と共に日本を離れインド洋に舳を向けた。インド洋ではモーリシャスをベースに2航海を実施、前半は広い範囲の地形や地質の調査が主体で岩石などをサンプリングしながら長い距離を航走する潜航、後半は熱水噴出域での調査でほとんど航走はせず、熱水の採取や培養装置の設置回収などを行った。

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2006年

この年は1月のインド洋からスタート。前半は地形・地質の調査が主で、決められたコースを岩石サンプリングしながらひたすら航走、海況にも恵まれ10日間連続で潜航作業を行った。一旦モーリシャスに寄港して乗船研究者が交代、後半戦は熱水噴出域での調査、熱水や生物のサンプリングや現場培養装置の設置など、同じ場所に長時間留まって作業を行う潜航を合計10潜航実施した。日本に戻り4月からは南海トラフ、日本海溝、沖縄伊平屋などの日本近海の調査を実施した。8月初旬には沖縄鳩間海丘でNHK番組「プラネットアース」撮影のための潜航を実施、俳優の緒形拳さんが実際に「しんかい6500」で潜航し話題となった。また、潜航している「しんかい6500」を無人探査機「ハイパードルフィン」に搭載したハイビジョンカメラで撮影、迫力のある潜航シーンを撮影することができた。8月後半からはパラオ・マリアナ・北フィージー・フレンチポリネシアと続く南太平洋方面への約3ヶ月の航海を実施、1991年に初めての海外調査航海で訪れた北フィジー海盆の「ホワイトレディー」に再訪、また新たな調査海域としてニュージーランド北方のケルマディック背弧海盆での潜航も行い、11月中旬にJAMSTEC本部に帰港した。

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2007年

2007年は「しんかい6500」にとって波乱の年であった。
3月に第1000潜航を迎え、これを記念し春には一般向けの船上公開なども行われた。しかし夏には深海潜水船特有のトラブルに見舞われることとなった。このトラブルにより約3か月の安全確認の時間をとられたが、年の後半にはふたたび潜航調査に復帰することができた。
この年の調査活動は千島海溝や三陸沖など主に北大西洋での潜航が主で、深海調査の中でもより深い海域が舞台となった。
千島沖では、冷湧水周辺の生物を生きたまま捕える研究や海底谷の発達についての調査が行われた。また三陸沖では、クラゲをはじめとするゼラチン質生物の多様性の関する調査や、この海域で新発見された火山であるプチスポットの調査が行われた。

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2008年

前年の潜水船のトラブルにより実施できなかった調査などもあったため、この年は多くの潜航が計画された。例年の潜航回数は60~70回のところ、1年間の実績で81回となった。海域は本州南側の南海トラフをはじめ、伊豆小笠原や日本海溝、マリアナ海溝などでの調査が行われた。
調査はそれぞれのテーマをもつ研究者が計画を提案し、それを受けて実施されている。南海トラフでは冷湧水域での生物採取や泥火山・付加体の研究が、伊豆小笠原では海洋地殻とマントルの研究、日本海溝では「ゆっくり地震」(スロースリップ・低周波地震等)について、日本海東縁では海底活断層や特異地形の調査、マリアナトラフでは弓上に連なる島々の成因についての調査が行われた。
そしてこの年、世界初となるアラビア海での深海調査が行われた。

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2009年

3月21日から4月14日の期間で検査工事後の「試験潜航」ならびにパイロットの技能向上を目的とした訓練潜航を実施した。
5月に入り、伊豆半島のはるか南に位置するパレスベラ海盆にて9回の調査潜航を行った。5月中旬からは海域を伊豆・小笠原海溝および北部マリアナ海溝に移し、同じく9回の調査潜航を実施。ここまでの通算潜航回数は1157回。8月に入ると、日本海溝においてタレントとしては初となる5000mを超える水深への潜航が行われ、世間の注目を集めた。同月、同じく日本海溝において「ナギナタシロウリガイ」の調査が行われた。
10月からは調査海域をインド洋中央海嶺に移し、10月13日から11月14日までの期間で合計15回の潜航を実施して多大な成果を得た。

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2010年

3月20日から28日の間で検査工事に伴う試験潜航、翌月4月3日から16日までの期間に訓練潜航を行った。潜航回数は双方合わせて15回、通算潜航回数は1191回となった。4月25日から5月4日までフィリピン海北西部で9潜航、5月20日から5月30日までの間に南鳥島周辺の海域で9潜航を実施した。
8月5日から始まった熊野沖南海トラフでの調査で、新規製作したハイビジョンカメラを搭載しての初潜航が行われた。通算潜航回数は1210回。
以後「しんかい6500」の水中カメラとして運用が継続されている。
熊野沖南海トラフで4回の潜航を実施、8月23日から29日までマリアナトラフで6回の調査潜航を行った。翌月9月4日から9月25日までの期間で南部マリアナトラフにおいて2つの公募課題に関する潜航を行った。
10月4日から5日までの2日間で再びマリアナトラフでの潜航を2回の行い、そこから北上して、伊豆小笠原大町海山において10月11日から12日の2日間で2回の潜航を行い、ここまでの通算潜航回数は1240回となった。

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2011年

3月中間検査工事も終盤を迎え本年度工事、来年度工事の打合せを行っている最中に強い揺れが整備場を襲った。3月11日東北地方太平洋沖地震であった。整備を行っていた「しんかい6500」、潜水調査船整備場は幸いにも大きな被害はなく、3月16日に沈降試験、続いて試験潜航、4月に訓練潜航実施した。
機構所有船舶は東日本大震災による緊急調査に向かうこととなり、2011年度の予定は大幅に変更された。「しんかい6500」による東北地方太平洋沖地震震源域の早期調査の声が上がる中、2行動に渡る「ディープ・トウ」による事前調査を経て、「東北地方太平洋沖地震余震域での有人潜水調査船「しんかい6500」 潜航のための安全ガイドライン」が構築され、7月30日機構完璧を出港し、8月1日東北地方太平洋沖地震震源域における調査潜航が実施された。約2週間にわたる調査で東北地方太平洋沖地震により発生したと思われる海底の亀裂、バクテリアマット等を確認した。2週間の調査中にも余震は何度となく発生し、安全ガイドラインに触れた場合には、再度「ディープ・トウ」による海底の確認がなされた。潜航調査により得られた震源域付近の海底の映像は、報道各社を通じ、国民が目にすることとなった。震源域の調査終了後は、千島海溝、日本海溝にてナギナタシロウリガイの調査、9月には水曜海山、鳥島東方沖、10月にパリスベラ海盆と調査を行い、生まれ故郷である三菱重工神戸造船所において、定期検査工事で実施される大改造前の重査試験(「しんかい6500」の重量・浮量バランスの確認検査)を実施し、11月より機構整備場において定期検査工事が開始された。

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2012年

昨年11月よりの定期検査工事において推進操縦装置を初めとする大規模な改造がなされた。
「しんかい6500」においては、外観がこれほど大きく変わる改造は初めてのことであった。
改造の概要は油圧首振り型主推進器1台を固定式の2台のスラスタに変更、後部水平スラスタ増設、推進系電動機を三相交流かご型電動機より直流電動機に換装した。結果、運動性能の向上がはかれた。また、No.1テレビカメラ(固定カメラ)に広角レンズ採用し、カメラによる視野の拡大を図った。3月に機構整備場における組立作業終了後、三菱重工神戸造船所において重査試験を実施し、試験潜航を実施、4月には実海域での機能確認・調整及び乗員の慣熟訓練を実施し概ね良好であった。4月末より調査潜航を実施、伊平屋北熱水域、伊良部海丘にて潜航し、6月末から7月にかけて、韓国「2012麗水世界博覧会」に参加、公開を実施し延べ2630人の見学者があった。公開終了後、西マリアナ海嶺南端部の調査潜航、8月には昨年に引き続き、東北地方太平洋沖地震震源域にて調査潜航を実施した。本年は2013年に世界一周航海「QUELLE2013」予定されたため、中間検査工事時期を例年より早め、8月末より開始し、12月中に試験潜航・訓練潜航を終了した。

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2013年

2013年は「QUELLE2013」と名付けられた世界一周航海の実施につきる。
Quelle(クヴェレ)とはドイツ語で「起源」、「源泉」という意味で、生命の根源を探るという航海の共通タイトルの、Quest for Limit of Life, 2013 のオレンジ文字の部分から名付けられている。
2月のインド洋より始まった調査航海は海況不良に悩まされる日もあったが機器のトラブルはなく順調なスタートを切ることに成功した。4月にはアフリカを経由して南大西洋ブラジル沖へ向かい調査を行った。「幻の大陸発見か?」との報道もあり日本をはじめブラジルでも大きな反響を呼んだ。その後、カリブ海にある世界最深の熱水フィールド、中部ケイマンライズでの調査の様子をニコニコ生放送でライブ配信、30万人を超える視聴者と深海調査を共有することに成功した。
主蓄電池交換のためにパナマ運河を経由し日本に帰国した後、8月末からマリアナ海溝、赤道付近、トンガ海溝、ケルマディックでの調査行動を行った。トンガ王国寄港の際には王女の表敬をうけるなど調査内容以外でも終え大きな成果を残して世界一周航海を終えた。

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2014年

試験・訓練潜航を終え北西太平洋でのプチスポット調査潜航を終えた「しんかい6500」はニコニコ超会議3に参加するため会場となる幕張メッセに展示された。各政党のブースやオタク文化、大相撲、自衛隊の攻撃型ヘリコプターと同時に展示された「しんかい6500」は一見の価値があった。総理大臣や各政党の党首、コスプレイヤーなど様々な方が来場され幅広い層の方に「しんかい6500」を見学していただく機会となった。開催者の意図であるインターネット環境を現実世界に再現した展示場の雰囲気は本当に凄かった・・・
その後の行動では落ち着きを取り戻し、本来の調査潜航を無事に遂行しマリアナトラフ西端調査において1400回潜航を達成した。
沖縄トラフで2013年の最終調査潜航を終え機構へ回航中に急遽「JOGMEC」の受託行動に参加することが決定した。この行動に参加したことで通算の潜航回数が1411回潜航となった。この潜航回数は「しんかい2000」が勇退した際の潜航回数と同じで「しんかい2000」と同じ潜航回数で新年を迎えることとなった。

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第4与那国海丘のシンカイヒバリガイとゴエモンコシオリエビ 第560潜航 2000年7月26日

第4与那国海丘のシンカイヒバリガイと
ゴエモンコシオリエビ
第560潜航 2000年7月26日

潮岬南東方海域で観察されたオオイトヒキイワシ 第617潜航 2001年6月6日

潮岬南東方海域で観察されたオオイトヒキイワシ
第617潜航 2001年6月6日

勢いよく熱水を噴出するチムニー(カーリー) 第659潜航 2002年2月15日

勢いよく熱水を噴出するチムニー(カーリー)
第659潜航 2002年2月15日

「かいれいフィールド」で観察されたユノハナガニの産卵 第665潜航 2002年2月24日

「かいれいフィールド」で観察された
ユノハナガニの産卵
第665潜航 2002年2月24日

「しんかい6500」に乗船する毛利衛さん 第733潜航 2003年3月13日

「しんかい6500」に乗船する毛利衛さん
第733潜航 2003年3月13日

与那国海丘熱水域にて採取した泥の中から吹き出すガスの気泡 第762潜航 2003年7月10日

与那国海丘熱水域にて採取した泥の中から吹き出す
ガスの気泡
第762潜航 2003年7月10日

東太平洋海膨にて世界最大の海底溶岩流を発見 第828潜航 2004年7月14日

東太平洋海膨にて世界最大の海底溶岩流を発見
第828潜航 2004年7月14日

映画「日本沈没」の撮影に協力

映画「日本沈没」の撮影に協力
2005年

硫化鉄のウロコを持つ巻き貝「スケーリーフット」 第933潜航 2006年2月16日

硫化鉄のウロコを持つ巻き貝「スケーリーフット」
第933潜航 2006年2月16日

「プラネットアース」の撮影風景

「プラネットアース」の撮影風景
2006年

「しんかい6500」に乗船する山根一眞さん 第1000潜航 2007年3月15日

「しんかい6500」に乗船する山根一眞さん
第1000潜航 2007年3月15日

日本海東縁で見つかったくぼみ/ポックマーク 第1081潜航 2008年6月8日

日本海東縁で見つかったくぼみ/ポックマーク
第1081潜航 2008年6月8日

「飛び出せ!科学くん」で日本海溝に潜航 第1159潜航 2009年8月25日

「飛び出せ!科学くん」で日本海溝に潜航
第1159潜航 2009年8月25日

インド洋かいれいフィールドにてスケーリーフットの大群集を発見 第1169潜航 2009年11月6日

インド洋かいれいフィールドにて
スケーリーフットの大群集を発見
第1169潜航 2009年11月6日

熊野沖南海トラフにてHDTVを使った初の調査潜航 第1210潜航 20010年8月5日

熊野沖南海トラフにてHDTVを使った初の調査潜航
第1210潜航 2010年8月5日

東北地方太平洋沖地震震源海域に大きな亀裂を確認

東北地方太平洋沖地震震源海域に
大きな亀裂を確認(YouTube)
第1256潜航 2011年8月3日

大改造後の試験潜航 2012年3月29日

大改造後の試験潜航
2012年3月29日

「QUELLE2013」ダイジェスト映像

「QUELLE2013」ダイジェスト映像(YouTube)

ニコニコ生放送で深海ライブ中継 013年6月

ニコニコ生放送で深海ライブ中継
2013年6月

ニコニコ超会議3に出展 2014年4月

ニコニコ超会議3に出展
2014年4月

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