25年の軌跡

1991年(第37~100潜航)

1991年5月
初の調査潜航を開始
1991年5月27日
第51潜航、日本海奥尻海嶺で巨大なバクテリアマットを発見(観察者:富山大学の竹内章氏)
1991年7月6日
第63潜航、日本海溝にてナギナタシロウリガイ発見、6,000m以深における最深記録の更新 (観察者:東京大学海洋研の藤岡換太郎氏)
1991年7月7日
第64潜航、調査終了後、離底するが浮上までに時間がかかる。上昇用バラストが1個外れていなかったのでは?の疑問あり
1991年7月15日
第67潜航、日本海溝海側斜面昭和三陸地震震源域深度6,270mで、無数の巨大な亀裂発見、有名なマネキンサイトの発見(観察者:九州大学の小川勇二郎氏)
1991年7月22日
第68潜航、プレートテクトニクスを証明した研究者の一人、フランスのル・ピション氏が外国人として最初の潜航
1991年7月23日
第69潜航、米国NOAAのシルビア・アール氏が、最初の女性研究者として潜航
1991年8月~11月
初の海外遠征、長期航海となる北フィジー海盆調査を実施
1991年9月2日
第75潜航、北フィジー海盆での日仏共同調査「STARMER」において、「ノチール」の司令ナージョレ氏が潜航
1991年9月7日
第77潜航、北フィジー海盆で、前年に「ノチール」が見つけたホワイトスモーカー「ホワイトレディー」に再遭遇
1991年11月2日
通算100回潜航達成
1991年
音響画像伝送装置を新規搭載

3月に中間検査工事終了後の試験及び訓練のため、計11回の潜航を行った後、5月から調査潜航を開始した。調査潜航海域は日本海、駿河湾、日本海溝、南海トラフの日本周辺に止まらず、日仏共同調査「STARMER」の一環として、南太平洋の北フィジー海盆にまで及んだ。潜航回数は、試験・訓練潜航が11回、調査潜航が53回の計64回を数え、この年の最後の潜航である11月2日には北フィジー海盆において第100潜航を実施した。

1991年の運航チーム

1991年の運航チーム

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日本海奥尻海嶺で巨大バクテリアマット発見 第51潜航 1991年5月27日

日本海奥尻海嶺で巨大バクテリアマット発見
第51潜航 1991年5月27日

日本海溝で無数の巨大な亀裂、マネキンサイト発見 第67潜航 1991年7月15日

日本海溝で無数の巨大な亀裂、マネキンサイト発見
第67潜航 1991年7月15日

北フィジー海盆でホワイトスモーカーに再遭遇 第77潜航 1991年9月7日

北フィジー海盆でホワイトスモーカーに再遭遇
第77潜航 1991年9月7日

北フィジー海盆 第81潜航 1991年9月12日

北フィジー海盆
第81潜航 1991年9月12日

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