プレスリリース
東京大学 大気海洋研究所
海洋研究開発機構
北極海の植物プランクトンの新たな大増殖現象を発見
――温暖化によって北極全体で起こる現象に
1. 発表のポイント
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- 北極海には「陸だな」と呼ばれる水深数十mの浅い海域が拡がっている。この陸だな域では、夏に植物プランクトンの大増殖現象(ブルーム)が海の表面ではなく海底付近でも起こることが明らかとなった。近年海氷減少が顕著な陸だな域では、この海底ブルームが起こる海域が広がっている可能性がある。
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- この現象を考慮すると、北極海ではこれまで推定されていたより植物生産量(二酸化炭素吸収量)が多い可能性がある。また植物プランクトンは海洋生態系の起点であり、本現象を起点とする新規の生態系が発達していることを示唆する。
2. 発表者
塩崎 拓平#(東京大学大気海洋研究所 准教授)
藤原 周#(海洋研究開発機構 地球環境部門 研究員)
杉江 恒二(海洋研究開発機構 地球環境部門 研究員)
西野 茂人(海洋研究開発機構 地球環境部門 主任研究員)
眞壁 明子(海洋研究開発機構 超先鋭研究開発部門 准研究副主任)
原田 尚美(東京大学大気海洋研究所 教授)
#共同主著者
3. 発表概要
植物プランクトンは海洋における主要な基礎生産者(無機物から有機物を作り出せる生物)であり、一般に海の表面で最も生産量が高くなります。そのため、植物プランクトンの生産量は人工衛星によって全球的なモニタリングが続けられています。東京大学、海洋研究開発機構の共同研究チームは、この常識に反し、夏季北極海陸だな域では、植物プランクトンの大増殖(ブルーム)が、海底付近でも起こることをつきとめました。
本研究では海洋地球研究船「みらい」による北極海観測において、北極海陸だな域の海底環境(光量・水温)を再現して泥中に含まれる植物プランクトンを培養した結果、珪藻類(注1)がブルームを起こすことを示しました。また同海域のこれまでの観測から、このような海底ブルームが現実にも発生しており、衛星観測ではその基礎生産を捉えられていないことを明らかにしました。この現象はこれまでの観測で見落とされていた基礎生産現象と言えます。北極全体の夏季の海底の光量を過去に遡って調べたところ、2000年代以降、東部シベリア海とカナダ多島海で特に高くなっていました。この海域は1990年代まで海氷に覆われていた場所です。つまり、この海底ブルーム現象は近年の温暖化による海氷減少に伴って広がっている可能性が示されました。
本研究成果は、2022年9月27日(英国夏時間)に「Global Change Biology」誌のオンライン版に掲載されます。
4. 発表内容
北極海では夏季、海の表面が貧栄養状態になる海域が出現し、基礎生産が低くなるとされています。この時期、そのような海域では植物プランクトンの現存量のピークは深度40–50mくらいに現れます。この表層に現れない植物プランクトン現存量のピークは亜表層クロロフィル極大(注2)と呼ばれています。亜表層クロロフィル極大は北極だけではなく、世界中の海で見られる現象です。ここに存在する植物プランクトンは一般的に光や栄養を十分に得られないため、生産力が低いとされています。しかし、北極海ではしばしば、この亜表層クロロフィル極大で基礎生産が高くなる現象が観測されていました。この原因は現在に至るまで分かっていませんでした。
本研究では北極海陸だな域の亜表層クロロフィル極大に着目しました。北極海は50m以浅の浅い陸だな域が全体の2割を占める世界でも希な海です。この北極海陸だな域では亜表層クロロフィル極大が海底付近にあることが多いです。そしてその海底には、春季ブルームを起こした珪藻類が沈み、海底の泥の中に数多く堆積していることが知られています。研究グループは海底まで光が届けばこれらの珪藻類が再びブルーム(以下、海底ブルーム)し、海底付近の亜表層クロロフィル極大として検出されうるという仮説のもと、実験を行いました。
実験では北極海陸だな域において、海底付近で採取した栄養塩濃度の高い海水を濾過し(生物を取り除くため)、同海域で採取した海底の泥を添加しました。そして、このボトルを夏季陸だな域海底に届きうる光量と海底付近の温度環境において24日間培養を行いました。その結果、光を照射した実験区では植物プランクトン、中でも珪藻類がブルームを起こすことが明らかになりました(図1)。すなわち、仮説通り海底ブルームが起こることがわかりました。
また現場観測においても海底ブルームと思わしき現象を発見しました(図2)。北緯70度以北の特に浅くなった海域において亜表層クロロフィル極大が海底付近に発達していました。この海域では上記の培養実験を行った光量より高い光量が海底まで到達していました。この海域の基礎生産を調べたところ、この亜表層クロロフィル極大で高い基礎生産が検出されました。そして、この海域の基礎生産は実際の値に対し、人工衛星観測での見積もり量が1/4程度になることがわかりました。海洋の基礎生産は人工衛星観測によって全球規模で常にモニタリングされ、海洋全体の基礎生産量が算出されています。これは海洋の基礎生産が表層で高くなることを前提としています。そのため、表層観測からわからない海底ブルームの基礎生産は見過ごされてきました。
本研究から推定された海底ブルームの発生要因は次の通りです(図3)。(a) 春季に海氷が融解し海中に光が差し込むと、表層で植物プランクトンが大増殖を開始する(春季ブルーム)。このとき増加した植物プランクトンが大量に海底に沈降する。(b) 春季ブルームで表面の栄養塩が使い尽くされて植物プランクトンが激減するため透明度が上がる。(c) 夏季に強くなった太陽光が海底付近まで届き、海底に沈んでいた植物プランクトンが再び増殖を開始する。
続いて、人工衛星観測から求められる海底に届く光量の推定値から、海底ブルームが起こりうる海域の面積をシミュレーションしました。その結果、海底ブルームが起こり得る光量が海底に届く海域が7月には陸だな域全体の24%を占めることがわかりました(図4a)。そしてその海域は東シベリア海とカナダ多島海、フォックス湾、チュクチ海、バレンツ海で特に顕著に見られました。このうち、東シベリア海やフォックス湾は1990年代まで夏季でも海氷に覆われていた海域です(図4b)。すなわち、海底ブルーム現象は温暖化による海氷減少とともに北極全体に広がっている可能性があるのです。そしてこれほど広い範囲で海底ブルームが起こり得るのは、沿岸からはるか沖合まで陸だな域が広がり、かつ夏には日照時間が非常に長くなる(白夜)、すなわち海底に光が届く海域が広くその時間も長い北極海特有の現象であると言えます。
植物プランクトンは基礎生産の過程で二酸化炭素を吸収、固定します。北極海の炭素吸収能はこれまで見積もられていますが、表層のデータに基づいたものになっています。正確な炭素吸収能を把握するためには、海底ブルームのような現象も考慮に入れる必要があります。また植物プランクトンは海洋生態系の起点となる生物です。海底ブルームのような植物プランクトンの大増殖が起こると、そこから派生した生態系も出現しているはずです。これらについては今後の研究で明らかにしていく必要があります。
本研究は、文部科学省の「北極域研究推進プロジェクト(ArCS)」「北極域研究加速プロジェクト(ArCS II)」及び科研費「極域プランクトン―その特性の理解―(課題番号:15H05712)、「北極海洋生態系を育む「種」を運ぶDirty Iceの役割とその空間分布の解明(課題番号: 21H03583)」の支援を受けて実施されたものです。
5. 発表雑誌
- 雑誌名:
- 「Global Change Biology」(9月27日付)
- 論文タイトル:
- Bottom-associated phytoplankton bloom and its expansion in the Arctic Ocean
- 著者:
- Takuhei Shiozaki#, Amane Fujiwara#, Koji Sugie, Shigeto Nishino, Akiko Makabe, Naomi Harada
- DOI番号:
- 10.1111/gcb.16421
#共同主著者
【用語解説】
- ※1
- 珪藻類:
植物プランクトンの一グループ。ケイ酸塩でできた殻を持つ。北極に限らず春季ブルームで主要となる植物プランクトン。ケイ酸塩の殻は海水より比重が大きいので、沈降しやすい。
- ※2
- 亜表層クロロフィル極大:
表層より少し深い深度でクロロフィルa濃度が最大になる現象。クロロフィルaは海洋植物プランクトンが共通して持つ色素で、その濃度は植物プランクトン現存量の指標となっている。
添付資料
図1 陸だな域海底の泥を用いた培養実験
(a) 本研究の培養実験方法の模式図。(b) 線グラフは実験期間中の植物プランクトン現存量の日変化を、棒グラフは植物プランクトン群集組成の日変化を示す。植物プランクトン現存量は光を照射した区と暗条件の区の両方を示す。植物プランクトン群集組成は光照射区のみを示す。
図2 海底ブルームと考えられる海底付近の高い植物プランクトン現存量(矢印)
(a) 衛星で観測された2016年9月の平均の植物プランクトン現存量。(b,c) (a)図赤線に沿った植物プランクトン現存量と基礎生産速度の鉛直断面図。矢印の点では基礎生産速度が30m付近で高くなっていた。
図3 海底ブルームの発生要因
各図の説明は文中に示す。
図4 (a) 海底ブルームが起こりうる海域(黄色)と(b) 1980年代、1990年代、2000年代、2010年代の9月の海氷分布
(a) の水色は水深50m以浅の海域を、(b)の白線は水深50mの等深線を、オレンジ色の破線は白夜が起こる北極圏を示す。
- 海洋研究開発機構 地球環境部門
- 研究員 藤原 周(ふじわら あまね)
- 東京大学大気海洋研究所 海洋生態系科学部門
- 准教授 塩崎 拓平(しおざき たくへい)