九州の長梅雨や西日本の冷夏などをもたらしたとされる2015年のエルニーニョ現象。その影響は2016年1月も続いていたようで、全国的な暖冬になっていました。スキー場の雪不足や冬物衣類の売れ残りなど、産業に与える打撃は深刻です。だからこそ早い段階でのエルニーニョ現象の予測が求められますが、その手法の確立は困難を極めます。その事実を特に研究者に突き付けたのが、2014年のエルニーニョ現象です。2014年は、春までに強いエルニーニョ現象の兆候が表れ「最強になるかもしれない」と世界中で多くの研究者が予測しました。ところが、最終的に観測されたエルニーニョ現象は、月並みな規模だったのです。-2014年は、研究者泣かせの年-。そんなつぶやきも聞こえてきました。
こうした中、エルニーニョ現象の予測精度を向上させうる新たな手法が誕生しました。プレスリリース「エルニーニョ予測の新展開 ~春先からの予測精度向上に新たな可能性~」(2015年11月25日発表)です。いったいどんな手法でしょうか。京都大学と共同で学術雑誌「Scientific Reports」に研究成果を発表した、増田周平グループリーダーに聞いてみます!
論文タイトル:A new Approach to El Niño Prediction beyond the Spring Season
こんにちは。
私は大阪で生まれ育ち、大学は理学部へ進学しました。きっかけは、気の利いたものは無いです。まあ、もともと船や飛行機が好きなのもあったのですが、海洋学の授業で気候変動現象の話を聞いたときに、「ああ、気候変動のメカニズムってこんなにうまく説明できるんだ」と感じたことを覚えています。暗記ではなくて、考えたらわかっていく、物理学の延長にある。そこに魅力を感じて海洋物理の研究室へ進み、黒潮の変動や、「Pacific Decadal Oscillation」(太平洋十年規模振動)について研究しました。
2000年からJAMSTECで、観測データやシミュレーションを使った研究をしています。たとえば、北太平洋の経年変動や深層水の昇温などに関する研究です。今回のエルニーニョ研究も同じようなアプローチで行った1つです。
豆知識!
大気と海洋の相互作用が生み出すエルニーニョ現象
大気と海洋は、色々な形で熱や運動エネルギーのやり取りを行っています。特に海面水温の高い海域では、温かい海面が大気を暖め上昇気流を起こします(図1)。蒸発も盛んで積乱雲の発達がよく見られます。こうして海洋が大気の循環を駆動することで海上の風が変化します。そして、風が海水を運んで海流を起こし、海洋の循環が駆動されます。
海が変われば風が変わり、風が変われば海も変わります。こうした大気と海洋のやりとりを「大気ー海洋相互作用」と呼びます。
大気ー海洋相互作用と強く関係する現象の1つが「エルニーニョ」です。エルニーニョという言葉はスペイン語で「男の子」(神の子イエス・キリスト)を意味し、南米のペルーやエクアドルの漁師さんがよく使います。もとは、南米沖で12月~1月にペルー沖の海水温が上がる季節的な現象を指しました。しかし、この海域では数年に1度、海水温の高い状態が続くことがあります。その現象を「エルニーニョ現象」と呼ぶようになりました(図2)。
熱帯域の海中をおおざっぱに言うと、上に温かい海水、下に冷たい海水が広がる2層になっています。通常の状態が、図3です。東風(貿易風)が吹いて、海の表層の温かい海水が西へ吹き寄せられています。その吹き寄せられた分を補うように、太平洋東側では、深層から冷たい海水が湧き上がっています。温かい海水の上では上昇気流が起き、それに伴い、冷たい海の上では下降気流が起きています。
エルニーニョ現象の状態が、図4です。何かのきっかけで東風が弱くなると、西へ吹き寄せられていた温かい海水が、つっかえ棒が外れたように東へ広がっていきます。温かい海水と共に雲や雨も東へ移動します。これにより深層からの冷たい海水の湧き上がりは弱くなります。大気の流れがふだんと逆になり、東風がどんどん弱まる循環になっていきます。こうした状態が半年以上続く現象が、エルニーニョ現象です。エルニーニョ現象はとても繊細で、大気ー海洋相互作用が少しでも変われば大きく影響を受けます。
社会に影響を与えるエルニーニョ現象
エルニーニョ現象が発生して大気の循環が変わると、日本を含み世界中で気象が変わりやすくなります。ふだん雨が多いインドネシアやパプアニューギニアで雨が少なくなり、逆に東太平洋に接するペルーでは雨が多くなります。日本では、夏は冷夏、冬は暖冬になりやすい傾向があります。
こうした気象変化が産業や人々の生活に与える影響は深刻です。たとえば、強いエルニーニョ現象が発生した1972-73年は、栄養豊富な深層水が湧き上がらなくなったためカタクチイワシが激減。カタクチイワシの魚粉は養殖魚や家畜の餌飼料として利用されます。代替する餌飼料として米国で作られていた大豆の消費量が増え、米国は大豆の輸出量を制限しました。大豆を輸入に頼る日本では大豆不足となり、納豆やしょうゆ、豆腐などの価格が高騰しました。
そう。だから予測が必要です。ところが、海水温は初夏まで同じような変化をしているにも関わらず、その後エルニーニョ現象に発達する年としない年があり(図5)、春先にその年のエルニーニョ現象を予測するのが難しいのです。
正直、完全にはわかっていないというのが現状です。春(3月~5月頃)は、エルニーニョ現象に関する大気ー海洋相互作用が最も活発になるためとも考えられていますし、東風を弱めてエルニーニョ現象を引き起こす突風が吹きやすい季節で、その突風が吹くか吹かないかでその後の運命が大きく変わってくるからという考え方もあります。このように原因のいくつかはわかってきているのですが、海水温と風が密接に絡み合った赤道海洋の変化は実にいろいろな要素から決まっており、大変複雑です。だから、春以降の予測が難しいのです。
そこで私たちは、春先にその年のエルニーニョ現象を予測する精度の向上に挑みました。
大まかな流れは、
です。
海洋研究には大きく、実際に海の状態を測定する「観測研究」と、力学法則をもとに数値計算を行う「モデル研究」があります。
観測で得るデータは船舶やトライトンブイ、アルゴフロートなどが海で測定したもので、現実の状態を反映しています。しかし海は広大かつ深いため、観測できない海域・期間がどうしても存在します(図6)。
それに対して、数値モデルによる研究は、物理法則に従ってコンピュータで計算するため、地球全体を網羅してデータを得ることができます。しかし、正しく自然界を表せているか保証がありません(図7)。
そこで、観測データと数値モデルを混ぜ合わせ、空間的にも時間的にも網羅する「データ同化システム」が開発されました(図8)。データ同化の手法として数種類がありますが、今回は「4次元変分法」を使いました。
数値モデル計算を進めていくと、どうしても、観測データと計算結果が合わない海域や時期が出てきます。かといってその場しのぎで調整すれば、自然の法則からかけ離れてしまいます。4次元変分法では、ずれの原因を探り、その情報を元に何十回も計算を繰り返して、たくさんの可能性の中から最適な解を出して補正していくことで、観測データと計算結果の差を埋めながら互いを融合していくのです(図9)。
莫大な量になる計算はスーパーコンピュータがこなします。ここで用いた4次元変分法システムは2008年にJAMSTECの杉浦主任技術研究員らが完成させたもので、私も開発に一部携わりました。
優れているのですが、システムを作るのが難しく、大きな計算機も必要なため、あまりポピュラーにはなっていないのです…。計算機の性能が良くなってくると今後は活用される機会が増えてくるかもしれませんね。
エルニーニョ現象は繊細なので、シミュレーションでは大気と海洋の状態をいかに正確に再現できるかがカギを握ります。この研究では、一般に入手可能な1960年~2006年まで46年分の大気と海洋の観測データ(水温、塩分、気温、風向風速など)を、「地球シミュレータ」を使って、丁寧に同化していきました。繰り返した計算回数は、数十回を超えた場合もあります。完成したデータセットが、図10です。
このデータセットを使って、エルニーニョ現象の発達に重要な働きをする、大気と海洋のエネルギー交換量の季節変化を計算で求めました。
熱帯域で東風が吹いて海水を動かすということは、大気が海に運動量を与えることになります。このとき大気と海とでエネルギー交換が行われることになります。1960~2006年までのエネルギー交換量の季節変化のうち、エルニーニョ現象に関連する要素を計算したところ、5~10年おきに大きくなったり小さくなったりしていることが判明しました(図11)。
エネルギー交換量の季節変化に大小があるということは、海中の水温構造にも期間によって様相の異なる季節変化が生じ、それはエルニーニョ現象の発達に少なからず影響があると考えられます。
たとえばエネルギー交換量の季節変化が大きければ、表層の温かい海水と深層の冷たい海水が1年を通して活発に動くことになります。温かい海水と冷たい海水の境目の層は温度が急激に変わるため「温度躍層」と呼ぶのですが、その温度躍層がバタバタ動くイメージです(図12左)。反対に、エネルギー交換量の季節変化が小さいときは、温度躍層はあまり動かず穏やかになります(図12右)。
そう。その温度躍層の傾きや深さによってエルニーニョ現象のありさまは繊細に変わります。これまでの研究では、東風(貿易風)が数割強くなり温度躍層の深さが数十メートル深くなると、エルニーニョ現象の発生周期が数年長くなるという成果も報告されています。
同様にエルニーニョ現象の発達は温度躍層の「動き方」にも結構敏感です。しかし、これまでの手法では長期的に見られる季節変化の変遷というものを考慮していませんでした。そもそもそれ自体があまり明らかになっていなかったこともあるのですが。
今回私は、エネルギー交換量の季節変化が大きいときには季節的な大気ー海洋相互作用を強調して、海中の温度躍層の再現性を上げようと考えました。具体的には、図13のような温度躍層の動き方の季節変化(例えば冬に温度躍層が深くなったり、夏に浅くなったりする1サイクル)をきちんと再現するために、季節的な大気ー海洋相互作用のサイクルを過去のデータから見積もり、モデルに簡単に入れ込む仕組みを構築したのです。
これにより、エネルギー交換量の季節変化が大きい年(赤)は温度躍層もバタバタ動くこの新しい仕組みを、エネルギー交換量の季節変化が小さい年(青)には温度躍層はあまり動かない従来の仕組みを、それぞれ採用することが可能になります(図14)。
これで、シミュレーションの準備OK。続いて過去の観測データを使って、実証実験です。
カタクチイワシ不漁と大豆値上がりが話題になった1972-1973年のエルニーニョ現象の実証実験に挑みました。
助走期間として1971年1~9月までの9ヶ月間の観測データを取りこみ、10月からはシミュレーション、つまり大気と海洋をやり取りさせながらコンピュータに予測させることをします。その結果が、図15です。黒が実際の観測値で正解の答え。青が従来の方法、赤が新しい手法による計算結果です。線が黒に近い程、より正確に再現できていることを意味します。
見えづらいですが、青線と赤線は春までは同じように上がっていきますが、春になってから、青線はすとんと落ちて弱いエルニーニョ現象を予測しています。これに対して赤線は、春以降もすとんと落ちることなく黒線に近い動きをして強いエルニーニョ現象を予測しています。
最新データを使った計算結果(図16左)から、近年はエネルギー交換の季節変化が大きい赤の期間に入ったと考えられます。これを踏まえて実証実験した結果が、図16右です。
論文執筆時に公開されていた観測データが2015年1月までだったため黒線は途中までですが、青線より赤線の方が、黒線に近い動きをしています。その違いは春以降に特に明確に見られます。予測が難しくて世界中の研究者を泣かせた2014年のエルニーニョ現象も、新しい予測手法を使えば再現できるのです。
実証実験の結果をみたときは、どの年の結果もほぼ予想通りの振る舞いを示しており、ほっとしました。この新しい予測手法をエルニーニョ現象の研究者が利用して、予測精度の向上につなげてくれると嬉しいです。
一方で、エルニーニョ現象の予測精度にはまだまだ改善の余地もあります。エルニーニョ現象は異常現象と言われがちですが、自然発生の現象です。赤道域の熱をためては高緯度に放出を繰り返し、熱を再配分するという、地球という惑星の環境形成に重要な役割を担っている可能性も探られています。そのエルニーニョ現象は10,000年前にもやっぱり存在していたことがわかってきており、当時の発生周期は15年くらいだったのではないかと指摘されています。現在は数年おきに発生していて、その周期は顕著な変遷を遂げています。今後エルニーニョ現象をもっと先の未来まで予測するには、地球規模で長期にわたる海洋観測を続けていくことが重要だと考えます。
エルニーニョ現象といえば異常気象の原因というイメージが強かったのですが、熱をためては吐きだすという役割も指摘され、その予測は社会や人々の生活を始め地球という惑星そのものに関わってくることを学びました。今回の新予測手法が社会に広がり、役立てられていくのが楽しみです。それにしても、今回の研究内容も筆者にはとても難しくて、特にエネルギー交換と温度躍層の関係を理解するのに非常に悩みました。そして4次元変分法を実行したり水温構造の季節変化を組み込むなんて、一体どうしたらそんな発想を実現できるのか。まさに「神の子」。
本研究の一部は、文部科学省気候変動適応研究推進プログラム(RECCA)の支援を受けて行われました。